コトバノウタカタ

よしなしごとをつらつらとつづるばしょ。

ER 緊急救命室 IX to X

ER 緊急救命室 IX 〈ナイン・シーズン〉DVDコレクターズセット
撮り貯めていたERを一気に見た。三日で10話分くらいは見ただろうか。見始めるまではしんどいのだが、一度見始めてしまえば面白いのでどんどん見てしまった。


XIIIとIXの再放送が終り、3月の末からXシーズンに入った。

XIIIのラストは天然痘が発生し、どうなるんだ、ってところで突然終わった。しかしIXの終りはそれ以上に凄かった。コバッチュがコンゴの赤十字への仕事に趣き、そこで医者が足りないと聞いたカーターが手伝いに行くという話。コンゴは内戦状態で、大人も子供も、病気や怪我でどんどん死んでいく。


長いしネタバレなので以下隠します。


戦争や内戦の悲劇を描いた作品は多いが、兵士の立場から描いたものが多く、医者の視点から描いたものというのは少ないのではないだろうか。私が無知ゆえに知らないだけかもしれないが、少なくともメジャーなハリウッド映画で思い当たるものはない。

アフリカの内戦を克明に描写し、戦闘での死よりも、その戦闘によって直接的、あるいは間接的に死んでいく、兵士ではない人たちを中心に描いている。爆弾で足を吹き飛ばされた子供。10ドルの薬がないばかりに命を失っていく子供。電気が切れ、手術ができずに死んでいく子供。アメリカなら助けられる命がどんどん失われていく。

それだけではない。医者が必死になり、ギリギリのところで助けた命が、内乱の戦闘やゲリラの横暴によって簡単に消されていく。その理不尽さたるや。


加えてERでは、「アメリカの民主主義」に対する疑念も語っていた。クロアチア人の医師コバッチュは、クロアチアの内戦で家族を失っている。そのコバッチュが同僚のアメリカ人医師カーターに語る*1

コバッチュ(コ):「はじめはみんな立派なことを言うんだ。やれ国家の名誉だ愛国心だ、って。でもけっきょくはこのありさまだ。死と悲しみが待ってる。みんなごく当たり前のことを望んでるんだよ。子供たちが飢えに苦しまずに、笑顔で幸せに育ってくれればいい。どこが国境で誰が大統領か、そんなことは関係ない。意味のない争いだ」


カーター(カ):「ここの人たちのxxx(聞き取れなかった。成人式?、政治主義?)が僕にはわからない」


コ:「君はアメリカ人だから。みんな民主主義に衣替えしたら、世の中が良くなると思ってるんだろ」


カ:「代わりになりがある? 軍事独裁主義化か?」


コ:「君たちは、空から爆弾やミサイルを撃ち込んで、さっさと航空母艦に引き上げて、後は美味いものを食べてテレビを見て過ごせばいいだけだ」


カ:「イラクで大勢犠牲を出してる」


コ:「でも、その間にアメリカの子供たちは飢え死にしないし、女性はレイプされない」


 (間)


コ:「以前僕が、新聞を読みながらテレビを見ていたら、正しい戦争だと言ってる。その結果家族を亡くした。あの戦争のどこが正しかったんだ・・・。ただ失っただけだよ・・・。大事な家族を」

これ、アメリカで放映しても大丈夫だったのかな。アメリカが起こしている戦争に対する批判しちゃってるけど。ここで言っている「イラク」という言葉はイラク戦争ではなく、たぶん湾岸戦争のことだと思う。さすがにイラク戦争開始後にこれだけ明確な戦争批判をアメリカ国内で放映することはできないんじゃないかな。よくわからないけど。


そしてこの話を見ながら、コンゴの人たちには申し訳ないが「日本に生まれてよかった」と思ってしまった。自分もそうだが、それ以上に自分の子供にとって。日本も治安の悪化も叫ばれているが、しかしそれでも日本は世界で有数の安全な国だ。医療技術も進んでいるし、アメリカのような銃社会でもない。普段生活していて、子供が突然殺されるような不安を覚えることはほとんどないし、病気になっても病院に行けばなんとかしてくれると思える。人の不幸を見て自分の幸せを実感するというのは、非常に俗で卑怯なことだと思うが、そう感じてしまったことは否定できない。おそらく多くの日本人は同じことを感じるのではないだろうか。


そんないろいろなことを考えさせてくれるIXシーズンの最終回だった。ヘタな映画よりよほど深いと感じた。


その後、Xシーズンも見たのだが、シーズンが変わってもタイトル以外ほとんど何も変化がなかった。可愛いインド人の医学生が一人増えたけど、変化はそれだけ。プラットが他の病院に移っていなくなるのかと思ったらけっきょく居残ってるし、コバッチュはアフリカに行ったきりになるかと思ったがそうでもなさそうだし。

話も完全にIXの終りからの続き。シーズンってほんとにただ季節の変わり目の区切りをつけただけ?

*1:ビデオ見て書き起こしました。