どろろが実写化されるとのことだが・・・、
映画では、男女間の微妙な心情を表現し、物語に膨らみを持たせるために、原作で少年(実際は少女)として登場したどろろの年齢をあえて百鬼丸と同年代に設定。主演の2人には、今最もノッている若手役者の妻夫木と柴咲を抜擢した。
うおえぇーーい。なんですかこれは!? 実写化というだけでもかなりゲンナリだというのに、ラブテイストヲフンダンニモリコンダサクヒンですと?
妻夫木聡と柴咲コウは嫌いじゃない。でもさ、この作品にそのキャスティングはありえないでしょ。どろろが柴咲!? しかも恋愛モノになるの? 百鬼丸が妻夫木というのも違和感ある。もっと若くて陰のある人じゃないと似合わないかと。あんなに爽やかな百鬼丸なんてありえなーい。
名のある作品に人気俳優を持ってくればそれでいいんですか? 本当にそれで原作をリスペクトしていると言えるのですか?
そしてもういっちょ。
同映画の平野隆プロデューサーは、「戦争がなくならず、大人の争いで子供が傷つけられている今だからこそ、この作品が持つ平和のメッセージを世界に発信したい」と企画意図を説明。
えーと、作品のコンセプトや受け止め方は人それぞれだとは思うが、しかし「どろろ」が平和のメッセージってのはちょっとどうかと。それとアニメで絶版になった差別的表現はどうするんだろ。あれこそがこの作品の肝、手塚が訴えたかった要所だと思うのだが。
もちろん、何かをリバイバルするときに、以前の作品をそのまま踏襲する必要は必ずしもない。時にはそれを打破し、新たなる作品として仕上げることで成功を収めることもあろう。浦沢直樹の描く「PLUTO」はそのひとつの例だ。しかし、映画でのリバイバルにはおよそそのような発展的改変は見られない。単にネームバリューを借り、コピー作品とも言えぬ劣化作品を送り出す。宣伝だけは派手に。上映が終わったら語られることもなくなるような作品が多い。
まだ作られてもいない「どろろ」に同様の評価を下すのは早計かもしれない。しかし有名なキャストを使い、話題性にすがり、作者の本来の意図を無視した改変を加えようとしてるこの作品が、原作を越える大作になるとは到底思えない。
良い意味で、その暗い予想を裏切ってくれればよいのだが。たとえば百鬼丸を柴咲がやって、どろろを妻夫木がやるとかさあ。あ・・・これ似合ってるかも・・・。
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