コトバノウタカタ

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交響詩篇エウレカセブン (4)

交響詩篇エウレカセブン (4) (カドカワコミックスAエース)

交響詩篇エウレカセブン (4) (カドカワコミックスAエース)

3巻までの感想で、アニメ版よりもドラマ性に優れている、というようなことを書いたが、4巻でもそれは健在。アニメより尺が短いのでどうしても話を詰め込みがちにはなってしまうが、アニメで描ききれなかった感情の抑揚や展開の面白さを、漫画版は実現している。

ストーリーや登場人物、設定等はアニメ版とかなり離れ同じ舞台を使った別作品と言っていいくらい独自の道を歩み始めている。かといってまがい物ではなく、「どちらも本物」と言わせるだけのクオリティがある。

さっそくだけどネタバレ込みで。


まず最も大きなテーマ。エウレカコーラリアンであるということへの衝撃、驚愕、そして恐怖。これがしっかりと描かれている。アニメ版ではコーラリアンに取り込まれたエウレカでさえ平気だったレントンだったが、漫画版ではある意味「人間らしい反応」を見せ、そのことでまた苦悩する。一方で「信じることをやめた」エウレカの冷ややかな反応がまた不気味かつ切ない。

そして、その種族の違いを乗り越えるために苦悩するレントンもしっかりと描かれてている。アニメ版ではこの部分が欠落していたがために、エウレカとのやり取りが単なる「痴話喧嘩」にしか見えなかった。最終的には「勢い」がレントンを動かし、それにエウレカが応えたという形になったが、アニメに負けない劇的な「再開」が演出されていたと思う。

ただし、ゲッコー号に潜入した工作員が、レントンの邪魔が入ったとはいえエウレカの処分を諦めて撤退したというのは腑に落ちないが。しかもゲッコー号に潜入していたのなら、爆弾のひとつでも設置して逃げるのがセオリーだろうに。ここはちょっと、ね。

その後のエウレカの「傷」のエピソードは上手いと思った。レントンははしゃぎすぎだけど。子どもたちがナイス。


ドラマ性という点では、ゲッコーステイトの窮地の演出も上手い。ホランドは負傷し、敵が内部に侵入し、周囲を多数の戦艦に囲まれる。アニメ版でも多数の敵を相手にすることはあったが、ここまで緊迫した状況にはならなかった。最終回直前でも、けっきょくのところゲッコー号は無敵の行進でほぼ無傷だったし。それに対して漫画版では既に絶体絶命のピンチ。それをエウレカレントンニルヴァーシュが打開するというカタルシスな展開。しかしこれって、コーラリアンも軍もひっくるめて虹の光で消滅させてしまった、という解釈でよろしいんでしょうかね。

そしてもう一組の主人公、ドミニクとアネモネ。ドミニクが中盤においてすでに「カッコヨサ」の片鱗を見せ始める一方で、アネモネはデレ化。これは「エウレカ化した」と見ていいのだろうか。このアネモネを否定するということは、エウレカを否定することになりやしないか。ある種の「人間らしさ」を問うテーマなのかもしれない。

そして物語の流れはアニメ版と大きく剃れ、登場人物についてもアニメ版との違いが顕著になってきた。ゴン爺の素性、三賢人が死に、アゲハ隊の存在はなく、代わりに若い神父とエンジニアらしき男がデューイに付く。ノルブは登場しないかわりに、デューイ側に女スパイ登場。最初はダイアンかと思ったけど、これってゲーム版に出てきてた人かな?

何かに取り憑かれたようになったエウレカコーラリアンの真の目的は「人類との共存」ではない? エウレカセブンはまだ終ってないんですね。