コトバノウタカタ

よしなしごとをつらつらとつづるばしょ。

「いただきます」の気持

ちょっと気になった「いただきます」に関する話題。

TBSラジオ「永六輔その新世界」(土曜朝8時半〜、放送エリア・関東1都6県)で昨秋、「いただきます」を巡る話題が沸騰した。きっかけは「給食費を払っているから、子どもにいただきますと言わせないで、と学校に申し入れた母親がいた」という手紙だ。番組でのやり取りを参考に、改めて「いただきます」を考える。

via: id:WhoInside:20060126:1138242047


この話題に関しては上記記事内でも十分に突っ込まれているし、さらにさんざんあちこちのブログで言い尽くされているようなのだが、私もちょっと思ったことをば。


この母親の言動について違和感を覚える大きな2点。

  • 「いただきます」は料理を作ってくれた人だけではなく、食材になった物に対する感謝の言葉でもある
  • お金を払っているからといって「いただきます」を言わなくてもいいのか

前者については個々人の認識の違いもあるので、他人がとやかく言うべきことではないのかもしれないが、学校がそう教える、というのはアリだと思う。「ありがとう」や「おはよう」を教えるのと同レベルで。ただしこれについては後述しているように異論もあるようで。


後者については、この問題に関わらずありがちなことで、「客は神様」を信じて実行してしまうパターン。売買というのは「相互契約」であり、どっちが上とか下とかないはずなんだけどね。私は客商売したことがないので大きなことは言えないが、この母親も自分が客商売をして横柄な態度の客を相手にしたとき、それがどういうものなのか想像してみればいい。もちろん、横柄な客同様、横柄な店もイヤだけれど。客も店も、お互いにお互いをある程度尊重し合っていれば取引はスムーズにいくし、気持もいいんじゃないかいな。*1

ま、いただきますを言わないくらいじゃ横柄とは言わないだろうけど。でも子どもが「いただきます」って言ってるのに「お金払ってるんだからそんなこと言わなくていいのよ」なんて言ってたらやっぱイヤな客だよなあ。


しかし改めて言われてみると、私も店で食事するときに「いただきます」は口にしていないことが多いかもしれない。そのかわり「ごちそうさま」はなるべく言うようにしている。食事に限らず、コンビにや本屋でも、商品受取ったあとに「ども」くらいは言うかな。感謝というよりはほんとに挨拶だけど。でもほんとーに美味しかったらちゃんとしっかり「ごちそうさま」言いたくなる。

クリスチャンの観点

少し話は変わるが、「いただきます」といって手を合わせる行為、「食べ物に感謝する」という考え方についての興味深いエントリーを見かけた。

小学校のころは日直の合図に合わせてなんとなく、合掌して「いただきます」と言って食べていた。しかし中学生になると、「あれ、もしかして合掌って仏教関係?」と思い、合掌するのはやめた。


(中略)


とりあえず「いただきます」はニュートラルな感じなので当時も今も言っている。飲食店では言わないこともあるが、食べる前には必ず祈って感謝を神様にささげている。「いただきます」というのも基本的には神様に対して言っている。合掌の形は神様に対する祈りの時にもあるような気がしたが、日本でそれをやるというのはまず仏教関連になってしまうので世の人の前では絶対やらない。それから死んだ動物に対して感謝するということはありえない。その動物を与えてくださった神様に対して感謝するならわかる。

クリスチャンの方だそうで、いただきますで手を合わせるのは仏教的な行為だからやらないとのこと。たしかに「合掌」だもんね。またキリスト教的な考えでは、食べ物に対する感謝は神にするものであり、食べ物そのものにはしないそうだ。なるほど価値観が違うとこういう観点もあるのか。

食べ物に感謝するのは「当たり前」と思っていたが、そういうわけではないということに目から鱗。「いただきます」の中にも日本的なアニミズムが潜んでいるんだなあ、と。

*1:Yahoo!オークションの取引後の評価コメントとか?