こんなはずじゃなかった――ホリエモン以上に「想定外」を痛感しているのは例の「美人広報」乙部綾子女史(29)だろう。今は事件の余波で、テレビ出演を“自粛”しているが、騒動に決着がついてからも「声をかけるテレビ局は皆無」ともっぱらなのだ。
「本人はすっかり“その気”で、バラエティー番組に出ては、タレントに交じってキャーキャーやってました。しかし、取りたてて気が利いたことをしゃべるワケじゃないし、さすがの“美人広報”も10代のピチピチタレントと一緒に並ばれたら、見ている方がつらい。それでもTVが面白がったのは急成長企業の広報という肩書があったからで、彼女からライブドアを取ったら何も残らない」(制作関係者)
(中略)
それなのに、TVではしゃぎ、雑誌の連載、果ては写真集まで出していた。世間はとっくに「大いなる勘違い」と思っていたが、本人もそろそろ背筋に薄ら寒いものを感じてきたのではないか。
ライブドアは好きじゃなかったし、乙部氏にも何の思い入れも興味もないが、この記事を読んでちょっとムカついたので言及。彼女を擁護する筋合いもないのだが、結果的にそうなっているか。
乙部氏はタレントではなく飽くまでも「ライブドアの広報」。彼女の仕事は広報活動であり、その役割は十二分に果たしていたのではないか。10代のピチピチアイドルと比較することに何の意味があるんだ? 「彼女からライブドアを取ったら何も残らない」って、確かにメディアには出なくなるだろうが、彼女自身の価値がなくなるわけじゃないだろ。それともメディアに出ることだけがその人の価値なのか?
そもそも彼女に「美人広報*1」というキャッチフレーズをつけ、ちやほやしていたのは世間でもライブドアでもなく、マスコミではないか。写真集はともかく、テレビ出演や雑誌の連載は、マスコミ側からのアプローチで行われていたものだろ? それを状況が悪くなったからといって相手の一方的な責任のような書き方をするってのはどうなんだよ。
乙部氏批判そのものを否定するつもりはない。これが逮捕前、ライブドアがブイブイいわしている頃に書かれた記事なら一目置くところもあろう。もっと淡々とした客観的な記事であったならなるほどと思ったかもしれない。しかし皆が知ってからさも己が鬼の首を取ったような記事を書くなんて、恥知らずにも程がある。
またこの件に関わらず、マスコミはもっと「ライブドアの共犯者」としての自覚を持つべきだ。視聴率のために堀江氏や乙部氏をメディア上に頻発させ、ライブドアの売名行為に協力し、後押ししてきた。マスコミはライブドアの最大の共犯者に間違いない。
しかし実際にはマスコミは、ライブドアや自民党に文句を言うばかりで、自分たちの責任についてはまったく知らん顔。オウムのときと同じじゃん。なんだかなー。*2