「女性は家にいるべきだ」とか「男は仕事をするべきだ」という固定観念に対しては異が唱えられるようになってきたが、女性の化粧についてはあまり言われないのが不思議。
以下、一部の女性を敵に回してしまいそうな話になるかもしれないが・・・。
うちの相方は普段は化粧をしない。肌が弱いとかめんどくさがりとか化粧に慣れていないとかいろいろ理由はあるが、ともかくよほどのことがない限り化粧はしない。結婚したからとか子どもができたからとかでもなく、出会ったときから化粧しない人だ。
私も化粧というのがどうにも苦手だ。匂いとか化学物質的なところとか、そういうところになんとなく抵抗を感じてしまう。化粧水でさえちょっとイヤ。
女性にとっての化粧は「身だしなみ」だと言われる。この言葉を聞くたびに私は違和感を感じる。何のための、誰のための身だしなみなのか。清潔で場違いではない姿形服装であれば、身だしなみに化粧は必要ないのではなかろうか。なんてね。
しかし現実にはそうもいかないというのもわかる。女性は化粧をするものだという思い込みは根強い。客先に出向く女性社員がノーメイクというのは難しいだろう。受付嬢などはさらに強くメイクを要求されるに違いない。ノーメイク派がマイノリティであることは間違いなかろう。
性の商品化に反対しているフェミニストでさえも、バリバリに化粧をしていたりする。田島某氏などはその典型だろうか。あのブアツい化粧はなんなのだろう。「綺麗になりたいのは当然の欲求」とか言い訳していたりするが、結局は「女性は化粧をするもの」という呪縛から解き放たれていないだけなのではないか、と。
それと、厚化粧はやはり見苦しい。しかも化粧に頼る人は年月が経つにつれ、さらに化粧に依存していく傾向があると思う。金と時間ばかりかけて「化粧お化け」になっていくのはちょっとね。
また、普段コテコテにメイクする人が化粧していないのはこれまた見苦しい。そういう人は化粧をする前提で顔が作られているため、化粧がないと凄く違和感がある。眉毛がなかったり、唇の色が薄かったり。
といっても化粧を全否定するつもりはない。化粧によって欠点を補おうとすること、より良く見せようとすること。そのことを全て否定する気はない。化粧で綺麗になる女性は確かにいる。それはひとつの「技術」であり、卓越した技術は賞賛に値すると思う。化粧したい人が(見苦しくない範囲で)化粧をするのは自由だと思う。ただそれが「社会的な義務」になってしまっているような風潮がちょっと気に食わないのだ。