思い通りの写真が撮れない。プロのような写真が撮れないというのはいまさら嘆くまでもないが、自分が気に入る写真さえ撮れないのが辛い。以前はそれでもフィルムを1本使えば2、3枚はお気に入りの写真が撮れていた。誰がどう評価しようと、自分では「これイイ」と思うようなモノが撮れていた。しかし最近私が撮る写真にはそれがない。100枚とっても「イイ」と思えるほど残る写真がないのだ。
ひとつには、デジカメを使っているということがあろう。コンパクトであれ一眼レフであれ、アナログなカメラには「ファインダーを覗く」という、それだけで世界を切り取ることのできる行為がともなう。しかしデジタルカメラにはそれがない。確かに映像は画面の中で区切られているが、それは覗き込んだ世界ではないし、カメラの外側にはカメラに写らない世界も見えている。それは切り取られることなく、ただ世界の一部が映っているに過ぎない。
プロのカメラマンはファインダーを覗くときも、反対側の目を開いて両方の目でものを見て撮る人もいるというが、それとデジカメはやはり違う。特に私のようにスキルも才能もない者はファインダーによって切り取られるという行為が必要なのかもしれない。
デジカメには「安易に撮りすぎる」という欠点もある。アナログの場合、1枚1枚に金がかかるので、1枚をよく考えてから撮る。そのために躊躇して失敗する、ということもあるのだが、それ以上に「悩む」というメリットは大きい。デジカメの場合、数は撮ってもけっきょくはイマイチな絵になっていることが多い。ただ「同じような失敗作」が量産されるだけで。
とはいえもうアナログカメラは死んでるし、いまさら買うわけにもいかないし。動くとしても現像やらなにやらに金がかかるし。アナログに戻るのはもう無理かなあ。あのフィルムの質感や、カメラの手にどっしりと来る感じ、好きだったんだけど。
あーでも、同じデジカメ使ってても本当にいい絵を撮る人いるから・・・道具のせいにはできないか。
道具云々以前に、私には「見えて」いないのだろう。世界には物が存在し、そのどこにでも絵になるものは満ち溢れているのに、私の目がそれを捕らえることができない。町並みはどこまでも平凡な町並みにしか映らない。切り取り方によって、角度によって、目の付け所によって、瞬間によって、そこには潜在的な「カット」が眠っているはずなのに、私には見えない。見えていない。見出せない。
元々センスがなかったと言ってしまえばそれだけなのだが、それでも昔は自分なりに楽しめる写真は撮れていた。撮ること自体も楽しかったし。あの感覚、どこ行っちゃったんだろうなあ。
- 追記
全然関係ないのだが、「Fotolog」って死んでるんでしょうか。このところずっと見えないんだけど。ずっと投稿はしてないんだけど、いい写真撮る人のところ見たくても見えなくて。
- 追記2
「Fotolog」と同じようなサービスで、「Flickr」というのがあるらしいのだけど、こっちも繋がらない。Fotologが死んで大量にユーザが流れ込んで過負荷で停止?? 「Flickr」入れた。一時的なトラブルだったんだろうか。
- 追記3
同じような写真アルバムサービスサイト、ってことで。