では、医療少年院勤務の精神科医という苛酷な現実の最前線に立つ著者が、犯人と名指ししたのは誰なのか? 結論から先に言おう、コンピューター・ゲームとインターネット(とりわけネット・ゲーム)である。
via: id:shidehira:20060120:1137746130
上記のレビュー記事、最後には「ノストラダムスの予言でのアンゴルモア大王はゲームだった」と、いい具合にイッちゃってるが、そのナンセンスさへの突っ込みは他の方へ譲るとして。
相変わらず若者の凶悪犯罪が起きたり、理由無き反抗が行われたりするとすぐ槍玉に上げられるゲーム。この記事も「ゲームは悪」という前提の元で書かれている。
ゲームの中毒性について
まずこの記事(あるいはこの著書?)のメインテーマとして、ゲームの中毒性について論じられている。
しかし、著者がむしろ強く危惧するのは、じつは、ゲームのこうした内容そのものではない。一番恐ろしいのは、ゲームをしていると脳内にドーパミンが大量に放出されて快感が引き起こされ、麻薬と同じような効果がもたらされることだ。つまり、やめたくてもやめられなくなるのだ。「毎日長時間にわたってゲームをすることは、麻薬や覚醒剤などへの依存、ギャンブル依存と変わらない依存を生むのである。
これはわからないでもない。確かにゲームに没頭してるときはドーパミン出てるだろうなあ、と思うことはある(思うだけで本当にそうなのかどうかは知らんけど)。しかしゲームに限らず、有名なところではマラソンのランナーズハイ、もっと身近なところで言えば勉強で猛烈に問題を解いているときや、仕事に没頭しているときなどにも同様の現象が発生するはずだ。人との楽しい会話やセックスでだって同じだ*1。「気持ちよくなる」「快感を感じる」というのが麻薬による効果と同じであるというのなら、人が楽しいと思う行為全てに対して同様のことを言わねばならないのではないか。ゲームだけが取り立てて麻薬性があるというわけではなかろう。
これはゲーム脳理論のときについても引用した「ダイハイドロゲン・モノオキサイドの危険性」と同じ言い方でしかない。当たり前のことをさも危険であるかのような言い方で提示し、危機感を煽るレトリックでしかない。
何であれ過度であれば害になるし、中毒性も出てこよう。中毒的にハマることに対する警鐘ならわかる。が、それをあたかもゲームそのものが本質的に持つ中毒性、危険性のように語るのは恣意的ではないだろうか。
その恣意性は、最終的にこういう結論に誘導されている。
だから、ゲームも時間を決めてやればいいという議論は、麻薬でも少量ならかまわないという議論と同じく、成り立たないのである。しかも、戦慄すべきことに、ゲーム漬けになった脳は薬物中毒の脳と同じように破壊され、元には戻らなくなるという。
時間を決めてやるって言ってるのにゲーム漬けってどういうことだろうか。それに、いつのまに「少量でも害悪」なんて話になったの? ゲームは麻薬ではないのに、麻薬と同じものとして論じるのはナンセンスも甚だしい。それならばマラソンやセックスだって同じように麻薬性を持つのだから禁止すべきだろう。
ゲームの暴力性について
もうひとつ語られているものは「ゲームの暴力性」について。
件の記事では善悪の要素が強いファンタジーゲームが例としてあげられている。しかしゲームの中にはパズルものやレースもの、ギャルゲーなど、そういう善悪とはまったく無関係なものも多い。それらを意識的にか無意識的にかわからないが無視し、戦うゲームだけを取り上げているのはやはり恣意的と言わざるを得ない。
さらにはこれ。
子どもや未熟な大人が、こうした暴力シーンになじむことは、『悪い敵』を攻撃してもいいという考えを強化し、それは、とりもなおさず、思い通りにならない存在は攻撃すべしという態度や考え方を強めてしまうのである
「悪い敵」が勝手に「思い通りにならない存在」にすりかえられている。そんな勝手な解釈押し付けられても困る。
それに現実社会を見ても、(是非はともかく)「悪い敵」を暴力で抑えることは珍しくない。そういう現実を無視し、ゲームを悪者にしたいがためにこういう論理を持ってくるのは卑怯だ。
で、何が言いたいかというと
またゲーム擁護に偏った記事になってしまったが、ゲームの害悪を完全否定したいというわけではない。ゲームの中には確かに子どもにとって良くない影響を与えるものもあるだろうし、強い中毒性を持つものもあろう。「サイレントヒル」や「お姉チャンプルー」はさすがに子供の前ではできない。自分自身ゲームをやっていて酷い喪失感に苛まれることもある。
しかし逆にゲームの中には脳の治療や活性化に用いられているものもある。それらをひとまとめに「ゲームだから悪」と論じてしまうのは無理があろう。むしろ中途半端な理論や嘘、誤魔化しをもって害悪を論じてしまうと、本当に害である部分も含めて「トンデモ」扱いされてしまうのではないかと懸念している。
ゲームを知らないゲーム嫌いが「ゲームは悪」という前提で研究しても意味はなかろう。もっと客観的に、かつ実測データを元にした論理展開をして欲しい(人体実験になるので難しいとは思うが)。
ま、脳を鍛えるゲームなんかも売れているようなので、「ゲーム=脳を壊す」という迷信は破壊されはじめてると思うけど。