コトバノウタカタ

よしなしごとをつらつらとつづるばしょ。

音楽と言葉

   歌詞を一度読め、タコ。 - BEAT-MANgus(椣平夢若食い散らかし記)
   楽曲における言葉の存在意義 - ねむりひめのお部屋


上記で音楽と言葉、について面白い話がされていたのでつられて。


私は「ブルーハーツ」ではなく、「THE BOOM」の方へ流れてしまった口なので、ブルハについては強くは語れない。聞いてはいたが、彼らの言う「カラオケで歌う輩」の部類に入っているのかもしれない。いや、歌詞は読んでいるつもりだが、ブルハが自分の血肉になっているかと言われるとそれは微妙だし、そのくらいの認識なのにカラオケで歌ってしまっているのだからはやり背反者になってしまうのかもしれない。


それはさておき。自分は音楽を何で聴いているのか考えてみた。しかし考えはじめると「どれが最も重要か」ということが決められない。歌手によって、場合によって、その判断基準が大きく変わる。私にとっての音楽の評価基準とは恐らく「調和」だろう。「歌詞」に重きを置くこともあれば、単純に「曲」を聞いていて心地よいということで選ぶこともある。「歌い手」だけで選ぶことはないが、しかし同じ曲、歌詞でも歌い手によって評価は大きく変わる。けっきょくのところそれら要素を総合的に見て、感覚的に「イイ」と思ったものを選んでいるような気がする。

歌詞で言えば「Cocco」や「スガシカオ」「THE YELLOW MONKEY」。このあたりは曲も当然良いが、やはり歌詞の力が強い。一方で「capsule」や「ピチカートファイブ」「小島麻由美」のような、アーチストもよく聞く。このあたりは歌詞に魂がこもっているとは言いがたい。「椎名林檎」は微妙だ。彼女の言葉は魂の叫びを「言葉遊び(あしびと読んで)」ではぐらかしている、という感じだろうか。

けっきょくのところ私は無節操なのだ。良いと思うから良い。聞きたいと思うから聞く。それ以上に語る言葉がないのかもしれない。ただし、歌詞がいいからといって曲がダメな歌は聞く気がしないし、曲がいいからといって中途半端なメッセージソングや恋愛恋愛した歌詞がついているとモウダメ。

capsule」や「小島麻由美」は、歌詞に魂がないとはいっても、歌詞に価値がないわけではない。そこには独特の世界が広がるし、エンターテインメントとしてはそれでも十分意味がある。ベタベタな恋歌なんかよりもよほどいい。彼らの歌詞はある意味、「声」を楽器のひとつととらえ、意味よりも音で楽しませることを追求しているもののように思う。だから小島麻由美スキャットだけの曲も歌として立派に成り立っているし、聞いていても全然退屈にならない。


まあなんだ、けっきょくのところ「調和」ってのはご都合主義の、実質何も語っていないずるい言い方なのかもしれないけど。

余談

などと言いつつ、たまーにラリって突然ミーハーな曲を聴いたりもしているが。しかしそういうのはたいてい長続きしない。