コトバノウタカタ

よしなしごとをつらつらとつづるばしょ。

多重人格(たじゅうじんかく)*

以前に、「妄想」を例にあげて、本来の意味とは違う使われ方をする言葉について述べたが、他にもそのような言葉がいくつかあるので、それについて述べてみたいと思う。今回は主に心や性格に関する言葉。専門家ではないので、認識や知識に錯誤があるかもしれないが、ご容赦を*1


まずタイトルにもあげている「多重人格」。別名、解離性同一性障害。それがどういうものかは、多くのドラマや小説、漫画などで扱われているのでいまさら言うまでもないだろうが、手短に話せば、ひとつの人間の中に複数の人格が形成される精神的疾患である。

一方で日常生活の中で、裏表のある人を刺して「あの人は多重人格だから」などという使い方をする。たいていは、普段大人しい人が急に乱暴になったり、普段いい子ぶっている人が裏で酷いことをやっている場合など、悪い方の意味で使われる。この場合の「多重人格」は、もちろん本来の「多重人格」とは違う。それは二面性を持つ一個人であり、人格が乖離しているわけではない。ただまるで違う人のように振舞う、という印象からこの言葉をもってきて当てはめて使っている。本来、人格が複数あるというものはそんなに生易しいものではないはずなのだが。


次に「ヒステリー*」。これは、腹が立ったりした人が興奮して大声を出したり暴れたりする場合に使われることが多いが、本来は、精神的に追い詰められた人が肉体的な疾患を見せる神経症の一つのことである。怒鳴って暴れる程度のことならヒステリーとはいえない。怒ることさえできない人が、追い詰められ、さらに追い詰められて肉体に異常をきたすのが本当の意味でのヒステリーである。逃げ場を失った精神的なストレスが、肉体を狂わせてしまうのだ。

症状としては、運動麻痺・失声・痙攣・健忘・痴呆などをがあるようだ。精神的に追い詰められた人が過呼吸になるのもヒステリーの一種だろう。私も実際に何度かヒステリー症状を起こした人に接したことがある。体が硬直したり、息ができなくて苦しんでいたりと、精神的なことが原因であるのに、本当に肉体的な症状として表れていた。案外、普段のん気そうに見える人が、いざ追い詰められたりすると、逃げ方がわからずにこういう状態になってしまうことがあるようだ。怒鳴ったり、癇癪を起こしたりできる人はまだ幸せな方なのかもしれない。


最後に「躁鬱(そううつ)*」。躁状態と鬱状態。一般的にはテンションの高い低いを対比した言葉で、明るいときと暗いときの差が激しい人を、「躁鬱の差が激しい人」などと称したりする。

鬱に関しては、鬱秒ということで昨今様々な分野で取り上げられることが多くなり、それが一般的な病であるということは知られるようになった。一方で「躁病」というものはまだまだあまり認識されていないようだ。そういう私も詳しくは知らない。少し調べてみたところ、以下のような説明を見つけた。

躁病とは、感情、意欲、思考がともに高揚、亢進した状態をいう。具体的な症状としては、異常に気分爽快があったり、行為心迫(何かしないでいられなくなる)、観念奔逸(思考目的から離れた観念や判断が表面的な結びつきだけで次から次へと出現する。話は脇道にそれ、全体として纏まりがない)楽天的、誇大的、上機嫌、反面易刺激的、多弁、多動、不眠、食欲・性欲の亢進などがあげられる.

これも、鬱病と同じく明らかに精神的な疾患なのだ。単にテンションが高いとか明るく振舞う、などといった生易しいものではないようである。仕事上のトラブルを多く招いたり、浪費癖がつくなど、社会生活上の問題になるようなケースに発展することもあるという。また鬱と躁はワンセットになっていることも多く、その場合、躁状態にあっても鬱の辛さが続くとも聞いた。テンションが高い間も心の中では鬱々としているのである。これはしんどい。


精神的疾患に関する言葉は、それだけで劇的な印象があり、文脈で用いれば強いインパクトを相手に与えることができる。ゆえに、ちょっとした性格や態度、精神状態の偏りを表現する際に使われるようになったのだろう。上記の3つの言葉は、いまや精神的疾患を離れ、性格や態度を表す語として一人歩きしてしまっている。これも「生きた言葉」と言えばそうではあるのだが、しかし個人的にはこれらの言葉を安易に使うことには少し抵抗がある。といいつつ、私も使ってしまうことはあるのだけれど。

あくまでも言葉の話として、と言いたいところだが、あまり言葉の話にはなってないな。

*1:私の認識等に間違いがあったら遠慮なく指摘してください