コトバノウタカタ

よしなしごとをつらつらとつづるばしょ。

ジェイコブス・ラダー

ヤコブの階段

ジェイコブズ・ラダー」。別名「ヤコブの階段」。聖書に出てくる言葉で天国へ続く階段のことらしい。人が登るというよりは、天使が降りてくる階段? 俗に雲の切れ間から降りてくる光のことを「ヤコブの階段」とも呼ぶらしい。要するにこれかな?

概要

さて映画の話。ベトナム戦争に行っていたジェイコブは、敵の突然の襲撃にやられ、腹部を刺されてしまう。復員し、ニューヨークに帰ってきたジェイコブが地下鉄を降りると、駅は閉鎖され外に出ることができない・・・。こんな感じで物語ははじまる。

先入観なしで見たかった

サイレントヒルの元になった映画と聞いていて、ずっと見たいと思っていた1本。他に撮り溜めている消化待ちの映画がたくさんあるんだけど、こっちの方が気になって借りてきて即見てしまった。

しかしこの作品、先入観なしで見たかった。酷く悪夢的で不条理ではあるし、ラストについては少々なっとくいかないところもあるけれど、ほどよい恐怖感と非日常感、テーマ、そして映像美。様々な面から注目すべきところ、印象深いところがあった映画だった。しかしどうしても「サイレントヒル的」なところが気になってしまい、そういう箇所ではどんなに良いシーンでも頭が半分サイレントヒルのことを考えてしまって、映画に集中できなかった・・・。残念。

良い映画だと思います。ただ気分の重い人はあまり見ない方がよいかも。ラストまで見ればなんとかなるけど、途中はかなりシンドイと思います。

まあそんなわけで感想もサイレントヒルとの比較になっていくと思います。以下、段階的にネタバレも含みます。

媒体 DVD
もう一度見たい △(ちょっと精神的にしんどいけど、いつかは見返したい)
劇場で見たい △(劇場では重過ぎたかも)
最後まで集中して見れた  △(サイレントヒルのことが頭にちらついて・・・)
他の人にも薦めたい △(良作だけど人を選ぶ作品だと思う)
印象的なモノがあった
マニアック

斬新な恐怖

サイレントヒル的と聞いてかなりのホラーを想像していたのだが、ホラー的要素はそれほど強くはなかった。もちろん、スパイスとしては十分効いているが、怖がらせることが主体ではない。そういう意味ではサイレントヒルとは根本的に目的が違う。ただ、映像を高速で動かし頭などだけをぶれて見させるという斬新な手法で、人の想像力を補った恐怖の演出を行っている。これはサイレントヒルに限らず、その後の様々なホラーで使われた効果だろう(それ以前にもこういう効果手法があったのかどうかはわからないが)。

そのほかにも、わざと見づらい構図や光加減でその招待をぼかしながら、しかし得たいの知れないものへの不安を掻き立てるカット。その対象物が主体ではなく、不安や恐怖そのものが目的であるがゆえに許される演出。それがうまく効果を出している。

映像美

驚いたのは映像美。ホラーモノと聞いていたのでそういうものは期待していなかったのだが、各所で光の効果を使った印象的なカットが多数あった。不気味に静まり返る電車内からはじまり、引いたカメラで写した地下鉄構内、夕日、朝日、様々な場面が幻想的に、そして非現実的に描かれる。

サイレントヒル的な部分とそれを否定する部分

先に作品の作り方としてはサイレントヒルとはまったく異なると書いたが、ディテールに関してはやはり共通する部分が多々あった。顔のない袋をかぶったような怪物、閉鎖された地下鉄、鉄と錆の演出。頭だけが高速でグルグル動くのはサイレントヒル2の敵キャラを彷彿とさせるし、ジャジーの存在はマリアそのもの。また後半、病院を担架で運ばれ、次第に周囲が機会でグロテスクな場所へと変わっていくシーンは、サイレントヒルの異界化そのものだ。

しかし何故か空気感が違う。それは、たいていどこにでも「人」の気配があることだろう。サイレントヒルの要所のひとつに、人の居ない世界に放り出される、というものがある。しかしジェイコブス・ラダーでは、最初の地下鉄構内以外は、それが悪意を持つ者であってもたいてい何かしらの人が介在している。自分の見方もいれば、近くには居なくとも家族もいる。そういう安心感が恐怖感へのブレーキになっているように思った。

男の子

早くに亡くなった息子ゲイブは、「ホームアローン」のカルキン君が演じてます。他の二人の息子がちょっと不細工なので、カルキン君の可愛さが引き立ってる。ジェイコブも明らかにゲイブを贔屓してたよなあ。

しかし、子が死ぬという話、特に息子が死ぬという話は、実際に息子を持つ親としては重たい。映画を見終わった後に、寝息を立てている息子の顔をじっと見てしまいました。

ラストとテーマについて

テーマについて、を語るにはラストの展開も語らねばなるまい。ここからはマジで濃いネタバレなので注意。

最終的にジェイコブは、ベトナムで刺されそのまま死んでしまった。要はニューヨークでのシーンは全て夢。走馬灯だった、というオチ。これはちょっと納得できない。だってそういうくくり方をすると、話の中の矛盾や突っ込みどころが全て「夢だから」で片付けられてしまう。

しかし、メイキングを見てちょっと考えが変わった。それらの矛盾や不条理さには全て、何がしかのメッセージ、死にゆくジェイコブが考えた、あるいは欲した何かが込められているのだ、と。痛みや熱や寒さは実際に死にゆくジェイコブの身体状態が夢に影響を与えている。ジャジーとサラの間を行ったり来たりするのは、死の直前にあって冒険と平安の欲望を両方をかなえたいと言う気持ちの表れ。そしてたびたび顔を見せる「悪魔」や「バケモノ」は死への恐怖や罪悪感、不安感、後悔、悲しみ、怒り、それら様々な負の感情の発露。そう考えると不条理だと思っていたことが全て辻褄が合ってしまうんだよね、悔しいことに。

正直、映画を見ただけではそこまでの理解はできなかっただろう。それを理由にこの映画がダメ、というのではなく、何度も見返すことによってきっとその意図が伝わる作品なのだと思う。そういう意味では、DVDについていたメイキングはいい意味でも悪い意味でも、「デキが良過ぎ」だと思う。

2つのエンディング

この映画には、実際に公開されたのとは別の真のエンディングがあったとのこと。公開されたのは、ジェイコブが早くになくなった息子のゲイブに連れられ、天国への階段・・・「ジェイコブス・ラダー」を登って行くというもの。

しかし真のエンディングは、解毒剤を飲んでも麻薬の症状からは解放されず、最期に自宅でジャジーと会い、その正体を知るというもの。確かに、監督が言う通り後者だと救いがなさ過ぎる。ここまで散々ネガに追いやられたジェイコブに一縷の救いもなくただ死へと導くというのはいささか酷い気もする。しかし印象的という意味では後者の方が断然印象的で、後の余韻も深かったのではないだろうか。

いやでも前者だからこそ最後に大泣きした、という人も多かったみたいだし、その辺りは個人の趣味に拠るものかな。

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