コトバノウタカタ

よしなしごとをつらつらとつづるばしょ。

透明人間

Dynamite in [DVD]
最近、東京事変の「透明人間」が頭の中でヘビーローテーション


   透明人間


ライブで歌われ、「Dynamite in」と「Dynamite out」というDVDには収録されているが、まだCDではリリースされていない曲。透き通った歌詞と、明るく力強くアップテンポなメロディ。

これが耳に残る名曲なのです。この曲に何かを感じたのは私だけではないようで、ちょっと検索しただけでもボコボコとこの曲についての記事が出てくる。この曲がなぜCD化されないのか。今後の隠しだまとしてじらしているのか。


椎名林檎で「透明人間」というタイトルを聞いたとき、「透明で誰にも相手にされないような(誰にも関わりたくないような)存在」とか「スカスカで色も中身もない人」の歌なのかなぁとぼんやりと思っていた。確かに、そういうニュアンスも微妙に含んでいるが、しかし「透明」とは心の透明さ、純粋さのことだった。まるで純粋な少年のような、恥ずかしくなるほど突き抜けた透明感を求める歌。

あなたが笑ったり飛んだり大きく驚いたとき
透き通る気持ちでちゃんと応えたいのさ
毎日染まる空の短い季節
真っ直ぐに仰いだら夕闇も恐ろしくないよ

人は透明でなんていられない。人が他人にその存在を認めてもらうためには透明じゃダメなんだ。完全に透明な人間は誰にも見えない。誰かに見てもらい、言葉を交わし、関わるためには濁っていないとダメなんだ。エゴという微妙な濁りが、他人に自分の存在を知らしめている。だから透明な人間なんて幻想だ。それでも透明でありたい。透明であろう。たとえ自分の色を失ったとしても。それはあなたにとっての水であり、空気であり、世界そのもの。そんな感じ?

びっくりするほどポジティブ。


東京事変になってから椎名林檎の毒が消えたと批判する人もいる。確かに以前の彼女の燻った鈍色の毒に魅力があったことも確かだ。透き通った純粋さなんて昔の椎名林檎の口からは絶対に出ない言葉だろう。そもそも「透明な人間」なんて、理想主義、幻想、表層だけの言葉でしかないのかもしれない。

しかし人の心をえぐるのは錆びついた毒々しいナイフだけではない。研ぎ澄まされた透明な鋭い刃を突きつけられたとき、人は自分の忘れていたもの、忘れようとしていたもの、忘れたいと思っていたもの、忘れたと思い込んで目を反らしていたものを意識し、また心を動かされるのではないだろうか。

それに彼女の「透明」が幻想だというのであれば、彼女の「毒」もまた嘘であり演出でしかない。完全に透明な人間がいないのと同じように、毒だけで出来ている人間なんていないのだから。


僕は、彼女が今この歌を高らかに歌いあげられるということがなぜかとても嬉しい。

余談

あーでもそういえばどちらのDVDもまだ買ってないなあ。欲しいとは思ってるんだけど、「ポップジャム」でやってたライブ映像とカブってるんじゃないかと思うとちょっと躊躇ってしまって。「透明人間」もそれの録画の方で聴いております。

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