コトバノウタカタ

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東京事変 - 教育

教育

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東京事変については既にあらゆるところで書きつくされているので、いまさら書くことも残ってはいまいが、それでも書く。人と同じ言葉でも、また人とは真逆の捕らえ方だとしても、それはそれで私の感想だから。

東京事変を語るには椎名林檎の名をあげねばなるまい。それはバンドであり、椎名林檎個人名義の曲や歌と比較するのはナンセンスであるということは十分理解しているが、しかし東京事変というバンドが椎名林檎を中心に出来上がったこともまた事実である。彼女の魅力が人を集め、また彼女自身が仲間を欲し、結果として出来上がったのが東京事変、ということになろう。


椎名林檎はいきなり売れすぎたのだろう。それがプロであり、商業的な売り上げがすなわち人気となる世界において、売れるというのはひとつの目的であることは確かだ。しかしアーチストとして見る場合、売れすぎるということはやはり自由を奪われることになる。己の望まぬものを作らされる苦痛、己の知らぬところでイメージが一人歩きを始める苦悩、肩に圧し掛かる重い期待、人気者には必ず付きまとう批判。それらを椎名林檎はファーストアルバム発売後に既に抱えてしまっていた。

彼女は「新宿系自作自演屋」という奇妙な肩書きを名乗っていたが、それは強さではなくむしろ彼女の弱さを覆い隠す強がりだったのだろう。彼女の歌もそうだ。強い言葉の裏にある劣等感や怯え。私の勘違いでなければ、彼女の歌の裏には常にそういう弱さが付きまとっていたように思う。嫌な言い方をすれば「虚勢」。そしてその彼女の裏の心は、曲を作り重ねるにつれより色濃く見えていったように思う。

期待という重石を背負ったまま製作されたセカンド、サード。技術も曲作りの腕も歌も、当然進歩はしているが、なぜか聞いていて苦しかった。それはまるで彼女の肩に圧し掛かる重圧が曲から滲み出しているような、「作らなければならない」という怨念のようなものがしみこんでいるような、そんな重み。

本当の彼女はポップジャムでのステージ上でイエモンと一緒になってしまって、少女のように緊張し、ドギマギしているような女性だった。しかし世間はそんな「普通の女性の椎名林檎」を許してくれなかった。椎名林檎自身も、「自作自演屋」として己の立ち位置を崩すことなく気張っていた。私が椎名林檎から少し離れたのは、そんな彼女の見えざる苦悩を見るのが忍びなかったからかもしれない。


そして「東京事変」である。彼女は「自作自演屋」であることを止めた。ひとりであること、強がること、気張ること、世間に合わせること、期待を背負い込むこと、演じること、誤魔化すこと、気負うことをやめ、「歌うことしかできない」自分により忠実でいられる立場を選んだ。それが「東京事変」のヴォーカルとしての椎名林檎である。

アルバムを聞いた素直な感想は「すごく聞きやすい」。これに尽きる。ファーストアルバムを聞いたときのような、いやそれ以上にすっきりと聞ける曲。ソロ後半のような重圧感はもうない。呪縛から開放され、枷を取り外され、自由を手に入れた。嫌な緊張感が消え、正しい緊張感を手に入れ、その中で強く伸び伸びと歌っている。そんな感じ。彼女はバンドという形を得ることによって、ようやく求めていた強さと安定感を手に入れたのかもしれない。


しかし不思議なものである。2000年前後、歌としてのベクトルは真逆だが、椎名林檎と同じく魂を切り売りする歌姫と言われたもうひとりのシンガーであるCoccoも、ほぼ時を同じくして「Singer Songer」なるバンドに参加した。こちらもまた、以前の何かに取り憑かれ突き動かされているような情熱の歌から脱皮し、憑き物が落ちたかのような穏やかで柔らかな歌を歌っている。やはりバンドという形態は穏やかで安心感を得られるものなのだろうか。この二人はまたほぼ同じ時期に母親になっている。これもまた不思議な符合だ。

ともに同じ時代を異色の歌手として祀り上げられていた二人が、流行の勢いに文字通り流され消えて行くのではなく、こうやってしっかりと新たなる、そしてよりはっきりと彼女たちの真価を発揮できる「島」を得られたということは、聞き手としても非常に嬉しい限りである。

追記

だがしかし、椎名林檎がサンバのリズムで歌う日が来るとは想像だにしなかったな。