コトバノウタカタ

よしなしごとをつらつらとつづるばしょ。

サスペンスものの悪影響

「サスペンス」で見つけた画像
以前に戦隊物の悪影響について書いた。今回は、そのときにも少し触れた、サスペンスものの悪影響について。

日曜の昼間。けだるい午後。子が居間でテレビのリモコンをいじって遊んでいた。テレビの電源がつく。まだチャンネルやテレビ番組の内容などは理解していないようだが、テレビがついたり消えたりチャンネルが切り替わったりするのが楽しいらしく、勝手にテレビをつけるのはよくあることだった。テレビに映し出されたのは、火サスかなにかのサスペンスものの再放送。こちらのテレビ局では、日曜の午後にはたいてい何かのサスペンスものの再放送をしているのだ。

サスペンスものは設定やトリックが滅茶苦茶なものが多いのであまり好きではない。しかしついているとついつい見てしまう。見た後にたいてい「無駄な時間を過ごした」と後悔してしまうのだが、それでもつい見てしまうのだ。

途中から見始めたのではっきりとはわからないが、見た限りでの話はこんな感じだった。主人公である女弁護士が、とある男の無罪を勝ち取ったが、その男が実はとんだ極悪人だった。男は釈放されるなり、金を貸していた夫婦の店に行き、すぐに金を返せと店をめちゃめちゃにする。追い詰められた夫は風呂で手首を切って自殺。その葬式の夜、極悪男は夫を失って打ちひしがれている妻をレイプ。夫を失い、憎い男に陵辱された妻は、女弁護士を逆恨みして包丁で女弁護士に切りつける、という話。

昼の日中からこれである。カッターを手首に当てるシーン、血まみれで風呂桶で死んでいるシーン、レイプシーンは裸までは出ないが、抵抗して泣き叫ぶ妻を抑え込んで組み敷き、服の中に無理やり手をねじ込んでいる。包丁で切りつけるシーンでは、弁護士が腕を切られて血を流し、さらに妻は包丁を振り回しながら弁護士ににじり寄っていた。

我が子はテレビで何をやっているのかわかってはいないだろうが、面白がって必死に見ようとする。手で目隠しをしたり、抱っこしてテレビを見えないようにしようとするが、身体をよじってテレビの方に目を向けてしまう。どんどん過激になっていくシーンに辟易して、そこでテレビを消した。

テレビメディアはよく漫画やゲーム、ネットを叩く。たしかに漫画やゲームの中には過激なもの、刺激の強いものもある。しかしそれらはあくまでも仮想のものだ。漫画やゲームの登場人物はデフォルメされ、現実とは違うとういことを認識させてくれる。それよりなにより、漫画もゲームもネットも「能動的に受取ろうとしなければ受取れない情報」だ。対して、テレビの情報は、文字も読めない、コントローラーもキーボードも操作できないような小さな子供でも簡単に見て、受け止めることができる。操作も簡単だし、無料で見られる。映像と音声はそれを受け止めようと思っていなくても勝手に飛び込んでくる。そのテレビで、あのような過激なものをなんの抑制も制限もなく垂れ流すというのはいかがなものだろうか。

親が注意していればいい、と言うかもしれない。確かにそのとおりだ。しかし子の管理をするのは親の責任だとはいっても、だからといってメディアが何を流してもいいということにはならない。それにそういう言い方をするのであれば、あらゆるメディアについてそう言えるはずである。漫画やゲーム、ネットを叩くのは筋違いだ。テレビは「自らの罪から目を逸らすために、他メディアを叩いている」としか思えない。

子供に限らず、大人にとってもサスペンスは悪影響を与えている。サスペンスもので扱われるトリックや捜査方法などの情報は、実際の犯罪に使われることも珍しくない。指紋を拭き取る、死亡推定時刻の操作、アリバイ作りなど、サスペンスや刑事物、そしてニュースを元にして実際の犯罪に活用している者は絶対にいる。

犯罪だけではなく、自殺に関しても同様。練炭自殺はネットを介して広まったと言われるが、実際にはテレビニュースで報道された後に続出してはいないか。

テレビメディアは他のメディアを叩くだけではなく、少し自省の精神も持った方がよいのではないだろうか。サスペンスものをやめろとは言わないが、せめてR指定して深夜に放映する、ぐらいの配慮はあってもいいのではないかと思う。

テレビだけを責めるのは筋違いだというのはわかる。漫画やゲームにまったく罪がないとは言わない。しかし、最も簡易に情報を入手できるテレビに最も気を使って欲しいと望むのは、あながち間違ったことではないと思うのだが。