コトバノウタカタ

よしなしごとをつらつらとつづるばしょ。

衆愚選挙

市会議員選挙があるので投票してきた。しかしいざ投票する段になっても、誰に投票してよいのか困る。候補が複数いるから、とかではなく、誰に投票して良いのやらさっぱりわからなくて困る。一通り広報に目は通したのだが、小さな紙面広告のようなものではわかろうはずもまく、またまとめて比較できるわけでもないので、ただ散漫と字面と顔を眺めているだけ。けっきょくは「親の知り合い」というしょーもない理由で知った名前に投票してしまった。

我ながら衆愚である。

しかしこういう人間は私だけではあるまい。多くの人間が「知り合いだから」「知り合いに頼まれたから」「知っている名前だから」などという理由で投票しているのではあるまいか。あるいは顔で選ぶ、雰囲気で選ぶ。名前で選ぶ、そういうことだってあるだろう。きちんと政治を考え、政策を吟味して投票している人もいるだろうが、大多数の人間は私と同じような衆愚なのではないかと思えてしまう。自分のことは差し置いて、そこはかとない不安を感じてしまう。

選挙が行われるたびに「投票率」が取り沙汰される。投票率の高低が問題視される。しかし果たして投票率が高い=政治意識が高い、ということではない。単に投票率だけ上げてもそれが政治意識の高さの表れとはならない。

よく言われるが選挙が「人気投票」になっている。タレントやスポーツ選手を候補として擁立し、顔と知名度で票を集める。それによって選挙率が高まったとしても、それは政治的感心が高まったわけではない。タレントやスポーツ選手に政治家が勤まらない、と言うわけではないが、擁立されているタレント議員の大多数が票集めのために狩り出されていることは否めまい。そしてそれに投票する人間がまた多数いるということも当選者を見れば明らかだ。

こういう衆愚が選挙を、投票を行っている。それでも国や自治体がそれなりにうまく回っているのだから凄いことだとは思うが。