コトバノウタカタ

よしなしごとをつらつらとつづるばしょ。

両眼1.5

いまだに視力が両目とも1.5である。体調によって多少上下はするが、1.0を割ったことはない。検査は1.5までしか測ってくれないので、2.0が見えているのか見えないのかはわからない。

裸眼で、しかも両目ともに1.5というのは、私のように一日中パソコンに向かう仕事をしている者の中ではかなり珍しいのではないだろうか。他に何のとりえもないのでそれが唯一自慢できるところかもしれない。

そういえば、大学時代も眼鏡をかけている者が多かった。工学部なのでなおさらだ。8〜9割りくらいは眼鏡かコンタクトを使っていたような気さえする。少なくとも研究室内ではそのくらいの割合だった。


特に目に気を遣ってきたつもりはない。しかし相方が寝転がって上を向いて漫画を読んでいたり、テレビを近くで見ているのを見かけると、思わず「目が悪くなるよ」と注意してしまう。自分でもそういうところで知らず知らずのうちに気を遣っていたのかもしれない。

それは母親の影響だ。私の母親はかなりの近眼だ。子供の頃に押入れなどで本を読んだりしていて目が悪くなった、という。それゆえか、私が子供の時分には暗いところで本を読んだりしていたらよく注意された。言われたときはうざったいなぁと思って聞いていたが、それが我知らず身についていたのだろうか。

しかし、暗がりで本は読まないが、真っ暗闇でゲームしていたり、テレビを見ていたり、ということは割りとよくやっていた。いまでも毎日10時間以上はパソコンのディスプレイに向かっている。こちらは視力にはあまり影響がない、ということだろうか。

それ以外には、特に視力に気を遣っている、ということはない。せいぜいよく目薬をさすというくらいだが、そんなものはあまり視力に関係あるまい。


ちなみに、私には弟がひとりと妹ひとりいるのだが、どちらも後天性の近視になっている。それを考えると、遺伝的には近視になりやすい家系なのかもしれない。私が近視にならなかったのはたまたまなのか、それとも近視への耐性を持っていたのか。


あるいは、私にはそもそも遠近の感覚が欠落しているのではないか、と思うことがある。もちろん遠近は分かる。しかし見た目だけで物の距離を空間的に推し量ることが苦手だ。景色なども、意識してみなければ立体感を実感できない。そういう距離感の希薄さが、視力の低下を抑制しているのでは、などと思うこともある。


眼鏡自体は嫌いではないが、実際にかけるとなるとお金もかかるし、いろいろとめんどくさそうだ。それにそもそも私の顔には眼鏡が似合わない。鼻がでかいので、私が眼鏡をかけると鼻眼鏡になってしまうのだ。眼鏡があろうがなかろうが、冴えない顔であることに変わりはないのだが。