コトバノウタカタ

よしなしごとをつらつらとつづるばしょ。

オカルト好き、オカルト嫌い


私はオカルト関係の話が好きだ。心霊、超能力、UMA、UFO、カルト宗教、超古代文明、民間伝承、超自然的パワー、神、悪魔、儀式、占い、超科学、etc...。それらのオカルト話には強い興味をそそられる。

幽霊ものの映画や心霊、超能力番組があれば気になってしまうし、オカルト事典なんかも持っている。自らタロットカードで占いをすることもあったし、超能力もあったらいいなあなんて漠然と思っている。お守りなどを買うこともあるし、神社やお寺、お墓にお参りすることもある。願い事もする。そのくらいのことはする。巨木を見れば不思議な感慨を覚えるし、大自然の力をそこはかとなく感じることもある。感じたような気になっているだけで、実際には別に何にもないのだが。

ただし、それらを手放しに信じているわけではない。それらに興味があるといっても、情報として興味を持っているに過ぎない。あるいはそこから見える「人の心」の方に感心があるとも言えるかもしれない。基本的にオカルトに対しては懐疑的だ。特に人が行うオカルトに対しての猜疑心は強い。


理系人間なので、科学的に否定されていること、科学的に証明されていないことを「ある」と言ってしまうことに抵抗を禁じえない。科学的に証明されていないことが「ないとはいえない」というスタンスは理解できるのだが、そこから「ないとはいえない」→「あるかもしれない」→「あってもおかしくない」→「あるだろう」→「ある」というパターンで無理やり肯定してしまうことに強い抵抗を感じてしまう。

こういうことを言うとよく、「科学もひとつの宗教だ」などと言い出す者が出てくるが、これはまったくナンセンスな指摘だ。そもそもそういうことを言う人は宗教の定義さえ出来ていないことが多い。儀式もなく、聖なるものという概念もない、また社会現象でさえない科学をなぜ宗教と呼べるのか。同様に無神論もまた宗教ではない。宗教と無宗教をごっちゃにしてしまうのはあまりに恣意的な歪曲だ。


しかしオカルトを信じていないと言いつつ、幽霊は怖い。なぜかと問われても説明はできないのだが、感情的に怖い。冷静なときであれば「そんなものいるわけないだろ」と言えるのだが、怖いと思い始めてしまうとそれを振り払うことができない。不思議なものである。そのあたりは根源的な「闇」や「死」への恐怖なのかもしれない。いや、本当は幽霊ではなくとも怖いのだ。例えば家の部屋の隅に見知らぬ男がじっとうずくまってこっちを睨んでいればそれは幽霊でなくても怖い。見えないから怖い、わからないから怖い。そういうことなのだろう。