コトバノウタカタ

よしなしごとをつらつらとつづるばしょ。

セッション9


セッション9 [DVD]

セッション9 [DVD]


昨日リストに上げたサイレントヒルぽい映画をさっそく借りてきた。本当は「ジェイコブス・ラダー」を真っ先に見てみたかったのだが、あいにく昨日行ったレンタル屋にDVDを置いてなかったので、諦めて「セッション9」と「メメント」を借りてきた。田舎の小さなDVD屋なので品揃えが悪いのは辛いところだ。別のレンタル屋も巡ってみて、見つからなければVHSで我慢するか。

ともかく昨日は借りてきた「セッション9」を見てみた。

廃墟となった精神病院で、アスベスト(石綿)除去を行う5人の男たち。彼らは次第に病院にこびりついている狂気に取り込まれ、闇に冒されていく。

まず特筆すべきは舞台となる精神病院。この病院は、ダンバース精神病院という本物の精神病院だった。現作中に出てくるロボトミーや拷問の話は実際にその病院で行われた実話を元にしているらしい。映画全体から、「とにかくこの病院で撮りたかった」という気持ちがひしひしと伝わってくる。監督曰く「病院は第六の登場人物」というように、その存在感はかなり強い。

サイレントヒルとのつながりは明らかだった。一番最初に出てくる車椅子のシーンは「サイレントヒル3」で出てきた車椅子のシーンとほとんど同じだ。サイレンヒルがこの作品に影響を受けていることは明らかだろう。他にもサイレントヒルの2作目と3作目に出てきた精神病院のシーンには共通する雰囲気もある。暗闇の中、懐中電灯の灯りだけで進んでいくあたりも、サイレントヒルを髣髴とさせた。しかし「これが同じ」というほどはっきりした共通点は他にはあまり見当たらなかった。

少し苦言を呈すれば、物語の中になかなか入り込めなかった。フィルとゴードンの区別がつかなかったことや、彼等と妻、恋人との関係がいまいちわかりにくかったということもある。それに加え、なんとなく台詞が頭に入ってこなかった。前回見た「WASABI」は何も考えなくてもさくさく頭に入ってきたのに、今作は少し気を抜くと台詞が流れていってしまった。けっきょく中盤を過ぎても物語に完全に没頭することができなかった。作品が悪いというよりは、私の調子の問題もあったのかもしれない。あるいは怖がり過ぎて話に没頭するのを無意識に拒否していたのかもしれない。最終的には話はわかったけれども。

以下、ネタバレあり。



最初、精神病院が舞台ということもあり、何か霊的なものや呪いが関わってくるのかと思ってみていた。実際に、悪魔崇拝の話や精神分裂患者の治療記録、墓など、オカルト的な臭いのするものを随所に散りばめていた。しかし最後まで見てしまうと、けっきょく「不思議なことなど何ひとつない」という映画だった。霊的なものや不可解なものは何ひとつなく、すべてが「人間の狂気」によって引き起こされた惨劇。逆に霊的なものを完全に排除し、人間のドラマとして描きたかったという気持ちが、最後に伝わってきたような気がした。

思わせぶりなシーンは多くあるものの、けっきょくのところ「恐ろしい何か」が実際に出てくることはほとんどなく「ネタを仕込んでいない肝試し」のようなことになっている。結果、思ったよりも怖くなかった、と感想を言わざるをえないのだが、そのためにこの映画の評価が下がるということはない。怖がらせるだけが良い映画の条件ではない。逆に恐怖を抑え、ドラマ性を強くしたかったのだろう。「霊よりも怖い人間の狂気」というものを作者は描きたかったのだというのがよくわかる。たとえば幽霊がいて人間を呪い殺せるとしても、人間が人間を殺す数に比べれば、幽霊が殺す人間の量など微々たるものなのだ。戦争での死、テロでの死、犯罪での死、事故での死。人間が人間に与える死の量は計り知れない。霊的な死は不可解だから恐怖も増すが、「生死」ということで考えた場合、一番の脅威はやはり人間自身なのだ。見終わった後、なぜかそんなことを考えてしまった。

二点三点する犯人像。皆が皆、どこか狂っているので、誰もが怪しく見える。その作り方はうまいと思った。途中で「ゴードンはひょっとして妻子を殺してるんじゃないだろうか」とは予想していたが、真犯人についてまでは考えが及ばなかった。最終的には真犯人以外はすべて殺されてしまうわけだが、よくよく考えると単に狂気に捕らわれて大量殺人をした、だけではなく「殺す動機」もそれなりに思い当たる。それが「病院」によって増幅されたと見るべきだろう。

登場人物も少なく、場面も限定された「演劇的」な映画だったと思う。恐怖感などは少し足りなかったし、名作と言えるほどの凄い作品とは言えないが、それでも印象に残る映画のひとつにはなったと思う。


余談その1。DVDには「もうひとつのエンディング」と銘打たれたカットシーンが付録されている。こちらのシーンでは、物語中の記録テープで独白している精神分裂症患者の「エイミー」が登場する。恐らく、病院が潰れたときに放逐されたエイミーが、廃墟となった病院に舞い戻ってきたのだろう。老婆となったエイミーがいくつかの場面で登場してくる。これはこれで怖くて面白いのだが、本編に登場させなかったのは正解だったと思う。彼女が本編に登場してしまうと、きっと話の本筋がズレてしまっていただろう。


余談その2。舞台となったダンバース精神病院は、虐待、監禁、ロボトミーなどの暗い歴史を持つ病院である反面、1900年以前には「理想的な精神病院」であったというのは興味深い。精神科医が治療のために建物の設計に関わり、患者にとって最も良い環境を実現した病院だったらしい。窓からは庭が見え、お互いの病室は見えないようにするなどの工夫をし、収容されていた患者は病院内で作物などを作って自立した生活を送っていたと聞く。建物には煉瓦や大理石をふんだんに使い、外部の者から「お城」と揶揄されて呼ばれるほど豪華な作りだったらしい。恐らく当時はまだ精神病に対する風当たりは強かったと思うのだが、19世紀にそこまで寛容で患者の側に立った治療を行っていたというのは驚きだ。現代でさえ、そこまで豪華でしっかりとした精神病院は存在しないのではないだろうか。それが時代の流れとともに、患者数の増加や奇妙な治療法の開発によって「抑圧」の場へと変わっていき、狂気の収容所へと変貌してしまった、という話だ。なんとも切ない話である。