コトバノウタカタ

よしなしごとをつらつらとつづるばしょ。

なんのために生まれて、なにをして生きるのか

アンパンマンのマーチ/かいけつ
先日アンパンマンのCDに入っていた「生きているパンをつくろう」という曲について書いた*1が、今回はアンパンマンのメインテーマ曲である「アンパンマンのマーチ」について。「生きているパンをつくろう」と違い、いい意味でこの曲は注目に値すると思う。子供向けというのが憚られるほど、そこで主張される言葉は深い。

この曲を聴いていると不甲斐ない自分にちょっと泣きたくなってくる。あまりにもポジティブすぎて鬱傾向の人には逆向きの効果を与えてしまうかもしれないが、単に「生きる幸せ」だけを歌った歌とは一味違う深みを感じる。生きることは痛みをともなう。それでも人は生きていかねばならぬ。そういう歌になっている。


まず導入。

そうだ うれしいんだ
生きる よろこび
たとえ 胸の傷がいたんでも

生きる喜びをたたえつつ、それが単なる「幸せだけの人生」ではないということを「胸の傷」という言葉で表している。「胸の傷」が何なのか。信じていた人に裏切られたり、大切な人を失ったり、取り返しのつかない失敗をしでかしたり。そういう人生を変えてしまうような傷を抱え込んだとしても、人が生きているということはそれだけで喜びなんだ。それが真実であろうとなかろうと、人は「そう信じて」生きていかねばならない。それが「そうだ うれしいんだ」という自分に言い聞かせるような表現になっているのではあるまいか。

なんのために 生まれて
なにをして 生きるのか
こたえられないなんて
そんなのは いやだ!

この問いに答えられる人はそうはいまい。それを敢えて「そんなのは いやだ!」と言い放って逃げ道を塞いでいる。たとえすぐに答えを見つけられなくとも、生まれてきた意味を、そしてこれからどうやって生きていくかを、人は考えつづけなければならない。漠然と生きている私のようなものにとっては耳の痛い言葉だ。


こんな感じで、なんだか妙に考えさせられてしまう歌だ。以下のサイトに歌詞があるので参照されたし。

*1:id:tetsu23:20050603:anpan