- 作者: 今市子
- 出版社/メーカー: 朝日ソノラマ
- 発売日: 2006/04/22
- メディア: コミック
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前回までの話を忘れてしまったので13巻から読み直した。以前は各話ごとに話が切れていたと思うのだけれど、前巻あたりから三郎や青嵐の話を引っ張るようになり、しかもそれが本流と深くからんでくるようになった。いつまでたっても話が落ち着かないのでちょっと冗長な感じもするけど。
相変わらず話の作りこみが深くて面白い。しかし一方で、昔に比べて話がわかりづらくなってきたという感じは相変わらず。そう思っているのは私だけではないようで、他の人の感想を見てみると同様のことを言っている人もチラホラ。いままでの流れがあって好きな漫画になっているから許容しているけど、もしこれが1巻目だったら「わかりづらい漫画」という烙印を押してしまっているかも。ま、「陰陽師」ほどわかりにくくなっているわけではないけど。
なぜ判り辛いと感じるのか少し考えてみた。ひとつはネームを詰め込みすぎなのかな、と。様々な伏線、人間模様、多くの登場人物。それらを1話の中でまとめようとするがために話が詰め込みがち、急ぎがちになっているような気がする。
次に、人物の関係が把握し辛い。登場人物が多いというのもあるし、誰が誰と言う関係なのかの説明が少ないような気がする。話の後半になってようやく誰が誰かわかるような。加えてこの話の中にはよく「実在しない人」や「死んでしまっている人」が登場する。もちろんそれは伏線なのだが、その曖昧さが人物設定を判り辛くしていることもある。説明臭くなるかもしれないが、最初に登場人物の家族構成を簡単に紹介するような感じで書いてくれればと思うのだけれど。
もうひとつはコマ割かな。以前に比べて場面転換が急に起こってしまい、つながりに迷ってしまうことがあるような気がする。
とまあ愚痴っぽく書いたのだけれど、その曖昧さがまた幻想的な雰囲気をかもし出し、深みを増しているというところもあると思う。というのは贔屓しすぎた解釈だろうか。
今回は4篇。そのうち2つは過去の話。以下ネタバレ。
まず死人返りの話。笛を吹いたら母親が蘇って子を殺してしまう、という今までにないほど悲惨な話がさらりと描かれている。しかもそれを村の皆が「当たり前のこと」と認識しているのもまた恐ろしい。
その事件に遭遇するのは、三郎を蘇らせることを望む晶。死人を生き返らせるというのがどういうことなのかを、遠まわしに晶に説いて聞かせているようなエピソード、というのは穿った見方だろうか。
続いて尾白と尾黒の過去の物語。この二人、絶対前世はドツキ漫才の夫婦だと思っていたのだが、可愛げな兄弟だったとは。あんな子どもたちが何故にあんなアホなコンビに・・・。文鳥の呪い?
縁の下の妖魔の話。妖魔が人間化する話というのも初めてかもしれない。両者は交われぬ者ではなく、「お互いに魅惑されるもの」という話。鬼灯なども人の面白さに魅かれている嫌いはあるものの、飽くまでも妖魔として人に接している。人と結婚した妖魔や、妖魔に魅いられた人の話は以前にもあったが、人であることに憧れ人となることを選んだ妖魔ははじめてなのではないかな。
一方で妖魔と化して縁の下の主になってしまった老人。このまま飯島家に居付くのかな。素の妖魔よりは善良っぽいけど。元人間だから、人間との取引も可能かも?
最後に祖父蝸牛の話。八重子以外の女性に蝸牛がある意味で「想い」を寄せていた。律が以前に同じように魔を見てしまう境遇にある女性に魅かれたように、蝸牛もまた自分と同じ境遇の女性とともにあることを願った。しかし結果的にに蝸牛は八重子を選ぶことになった。誰かを守るために誰かを犠牲にせざるを得なかったという切ない話。
しかしあの冷徹そうな蝸牛が「山ザル」とって熱くなる様は面白い。その後の蝸牛はこの「鈍感」な八重子のおかげで、孫にも恵まれて幸せになれたんだろうね。