コトバノウタカタ

よしなしごとをつらつらとつづるばしょ。

自殺について

自殺が「悪」なのはどうしてですか。「死なれたら悲しい」とか「死なれたら育ててくれる人がいなくなる」とか、そういう理由なら自殺をやめさせたくなるかもしれません。しかし、「自殺は生けるものとして、してはならぬ行動だ」とか「自殺は犯罪だ」と言う方々の意見が理解できません。自殺が悪なのは、宗教絡みな意見?例えば道端で知らない人が自殺しようとしているのを見かけたら、どうします?私は止めません。しかし止める人もいると思うんです、結構。どうして悪なのか、教えてください。(私は悪だとは思っていません。) (question:1121959932)

興味深い質問があったので、それについて取りとめもなく考えてみた。取りとめもなく書いているのでほころびはご容赦を。


自殺を悪とすることに関して、「迷惑だから」「悲しむ人がいるから」「生きていればきっといいことがあるから」などという理由付けをよく聞く。ならば、

  • 誰にもまったく迷惑をかけない
  • 悲しむ人がまったく居ない
  • 生きる希望がまったくない

こんな条件であれば死んでも良い、ということだろうか。それとも「善悪」とか「倫理」を持ち出すのだろうか。「自殺が何故悪なのか」という問いに「自殺は悪だから」と答えるのは少々ナンセンスだ。


よく言われるのは、「キリスト教的な考え方が日本にも入ってきたから」というもの。確かに日本では開国以前、忠義や名誉のために腹を切り死ぬのは一種の美徳とされていた。むしろ腹を切るべき状況で腹を切らぬは恥とさえ言われた。それが変わったのは民主化が行われて以降、西洋的な考え方が流入し、根付いてからのことだろう。


しかしではなぜ、キリスト教では自殺が悪とされたのか。

自殺を悪とするのは、根源的な「死」そのものに対する恐怖からではなかろうか。人は殺人を厭う。自分にまったく関わりのない、自分に危害が及ぶことがないとうい前提でさえ、人は殺人を厭う。それと同様に自殺という命を奪う行為そのものが、人の嫌悪を呼び、恐怖を与えるのではなかろうか。自分と同じ人間が自らの命を絶つ。これは自分自身も自らの命を絶つ可能性があるということに他ならない。

人には必要以上に他人に同調し、共感する機能が備わっておいる。それによって「人の死」が自分の中に流れ込んでくるような錯覚を覚えるのではないだろうか。

そういうことから「自殺は悪」という概念が生まれたのではないだろうか。と、けっきょく感覚的な話しかできないなあ・・・。


なんやかやと理屈をこねはするものの、私も自殺をするという人が目の前にいれば止めてしまうだろう。私は偽善者で臆病者だから。