コトバノウタカタ

よしなしごとをつらつらとつづるばしょ。

美術手帖 - マンガは芸術か?

美術手帖 2006年 02月号

美術手帖 2006年 02月号

美術手帖の2月号が「マンガは芸術か?」という特集を組んでいたのでチラ見してみた。っていうか、表紙に弐瓶勉の名前があるじゃん! 弐瓶! 弐瓶!

前半の拾い読みしかしてないけど。思ったこととか見たこととか感じたこととか徒然と。


いわゆる「大衆娯楽」であった漫画が、美術館での展示に狩り出されるなどして「芸術」としての側面を見せつつある。しかしそれは「芸術になった」というよりは、漫画の持つ芸術的な部分の抽出に過ぎないと思う。それ以外のエンターテインメント性も含めてはじめて漫画は漫画たりうる。この雑誌でも書いてあるが、漫画は「見る」ものではなく「読む」ものだ。読んでストーリーに触れることによってはじめて人に入る。

そういう意味では漫画は「芸術性も持つエンターテインメント」であって、芸術そのものではない。むしろ芸術的視点から漫画を見てしまうとその本質を見失うのではないのかなー、と。見た目も重要な要素ではあるが、「見た目だけで漫画は語れない」ってこと。

ていうかそもそも「芸術」っていう定義が曖昧過ぎて「芸術か否か」っていう議論は非常にやりづらいんだけどね。


特集でピックアップされているのは村田蓮爾古屋兎丸、そして弐瓶勉の三人。村田蓮爾は漫画家というよりはイラストレータだと思っているのだけれどどうなんだろうか。古谷兎丸はなんとなく見たことあるような気がするけどよく知らない。弐瓶勉は言うまでもなく「BLAME!」な人。三人ともなるほど芸術に被ってるな、と思うような人選だ。


続いて「マンガ史を変える30人」というタイトルで漫画家がカテゴリごとに紹介されている。

マンガ・スーパーテクニック 井上雄彦小畑健荒木飛呂彦
SF・ファンタジーの世界観 永野護士郎正宗三浦建太郎
スタイリッシュの美学 楠本まき*、桂正和上條淳士*、多田由美*
私漫画の系譜 小田ひで次*、近藤聡乃*、黒田硫黄*、しりあがり寿-
アンビエントな実力派 丸尾末広*、岡野玲子山田章博-、松本大洋-
少女マンガの革新者 峰倉かずや*、安野モヨコ-、矢沢あい-、CLAMP-
"萌え"の巨匠たち 赤松健*、コゲどんぼ*、藤島康介あずまきよひこ*、天広直人*
21世紀的進化系 吉崎観音-、西岡兄妹*、大暮維人*、水野純子*

「*」はよく知らない人、「-」は名前や作品を知ってはいるがあまりきちんと読んだことがない人。けっこう知らない人が多いなあ。少女漫画系はほぼ全滅だし。っていうかこういうところでは名前が出てこないような少年漫画をメインで読んでるからか。

続きを読む

呪文でハーレム男を逮捕

東京都の多摩地区に居住する男性(57)が、若い女性と結婚・離婚を繰り返しながら不自然な集団生活をしている問題で、男性は25日、集団生活の場となっている民家で報道陣の取材に応じ、「12人で生活している。男は私だけだ」などと話し、女性らとの同居の事実を認めた。
 男性は占いをしていたといい、「占いの女性客たちに呪文(じゅもん)を唱えると、女性たちが居着くようになった」などと、集団生活を始めた経緯を説明した。

「なんじゃこりゃ、呪文でハーレム?」と思っていたら・・・。

東京都東大和市の民家で、女性約10人、女児1人と不自然な集団生活をしていた男が、集団生活への参加を断った20歳の女性を脅していた疑いが強まったとして、警視庁捜査1課と東大和署は26日未明、男を脅迫容疑で逮捕、朝から同容疑で民家の捜索に乗り出した。
 捜索には捜査員約50人が動員されており、脅迫事件としては異例の体制。被害者の女性は「催眠にかけられそうになった」などと話しており、同課では、女性たちは男にマインドコントロールされている可能性もあるとみて、集団生活への勧誘手法を詳しく調べる。

早速逮捕されておりますがな。しかし脅迫容疑で捜査員50人ってすごいな。まだ裏に何かあると踏んでるんかな。こんなの報道してしまったら、真似して催眠術を習得しようとする輩が続出したりして。

マスコミのライブドア叩きの一端

こんなはずじゃなかった――ホリエモン以上に「想定外」を痛感しているのは例の「美人広報」乙部綾子女史(29)だろう。今は事件の余波で、テレビ出演を“自粛”しているが、騒動に決着がついてからも「声をかけるテレビ局は皆無」ともっぱらなのだ。

「本人はすっかり“その気”で、バラエティー番組に出ては、タレントに交じってキャーキャーやってました。しかし、取りたてて気が利いたことをしゃべるワケじゃないし、さすがの“美人広報”も10代のピチピチタレントと一緒に並ばれたら、見ている方がつらい。それでもTVが面白がったのは急成長企業の広報という肩書があったからで、彼女からライブドアを取ったら何も残らない」(制作関係者)


(中略)


 それなのに、TVではしゃぎ、雑誌の連載、果ては写真集まで出していた。世間はとっくに「大いなる勘違い」と思っていたが、本人もそろそろ背筋に薄ら寒いものを感じてきたのではないか。

ライブドアは好きじゃなかったし、乙部氏にも何の思い入れも興味もないが、この記事を読んでちょっとムカついたので言及。彼女を擁護する筋合いもないのだが、結果的にそうなっているか。


乙部氏はタレントではなく飽くまでも「ライブドアの広報」。彼女の仕事は広報活動であり、その役割は十二分に果たしていたのではないか。10代のピチピチアイドルと比較することに何の意味があるんだ? 「彼女からライブドアを取ったら何も残らない」って、確かにメディアには出なくなるだろうが、彼女自身の価値がなくなるわけじゃないだろ。それともメディアに出ることだけがその人の価値なのか?

そもそも彼女に「美人広報*1」というキャッチフレーズをつけ、ちやほやしていたのは世間でもライブドアでもなく、マスコミではないか。写真集はともかく、テレビ出演や雑誌の連載は、マスコミ側からのアプローチで行われていたものだろ? それを状況が悪くなったからといって相手の一方的な責任のような書き方をするってのはどうなんだよ。


乙部氏批判そのものを否定するつもりはない。これが逮捕前、ライブドアがブイブイいわしている頃に書かれた記事なら一目置くところもあろう。もっと淡々とした客観的な記事であったならなるほどと思ったかもしれない。しかし皆が知ってからさも己が鬼の首を取ったような記事を書くなんて、恥知らずにも程がある。


またこの件に関わらず、マスコミはもっと「ライブドアの共犯者」としての自覚を持つべきだ。視聴率のために堀江氏や乙部氏をメディア上に頻発させ、ライブドアの売名行為に協力し、後押ししてきた。マスコミはライブドアの最大の共犯者に間違いない。

しかし実際にはマスコミは、ライブドアや自民党に文句を言うばかりで、自分たちの責任についてはまったく知らん顔。オウムのときと同じじゃん。なんだかなー。*2

*1:間違えて美人秘書って書いちゃってた。

*2:[http://www.asahi.com/politics/update/0125/003.html:title=小泉首相と被った・・・]。鬱・・・。