コトバノウタカタ

よしなしごとをつらつらとつづるばしょ。

Ergo Proxy (6)

エルゴプラクシー。最初はわりとまったりで、こじゃれた系を狙った凡作かなあと思っていたが、4巻くらいから速度を増し、面白くなってきた。そしてこの6巻。3話ともかなり異色。異色過ぎて賛否両論のようだが、こういうアプローチは個人的には好きです。物語の折り返し地点にありがちな本筋とは少しそれたサブエピソード、とも取れるが、その中に物語の行く末に関わる種が数多く仕込んである・・・ような気がする。

しかし検索してみてもエルゴプラクシーの感想やレビューって少ないね。テレビ放映のときに感想が出きっててDVDでは反応が薄いということか、あるいはまったく人気がないのか・・・。検索結果の数からいって後者のような気がしないでもない。なかなか良作だと思うのだけれど。もったいない・・・。

Ergo Proxy 6 [DVD]

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以下ネタバレあり。

省察十四「貴方に似た誰か / ophelia」

近未来風だった世界に突然現れた現代的な世界。無人のスーパーマーケット。しかし何者も存在しない世界。オートレイヴさえいない世界。それでも街は機能し、スーパーに商品が並んでいる。ほんの少し以前までは人・・・あるいは少なくとも何者かがいたという痕跡。その痕跡の中に立ち入っていくビンセント、リル、ピノ。その異常さの中、「もうひとりの誰か」が現れる。

いわゆる世界系にありがちな同じ場面のリフレインと、自分自身との対峙。しかしエルゴプラクシーではそれを単に精神世界の抽象的な出来事に貶めてはいない。扱いやすく説明し辛いそのモチーフを「プラクシーとの戦い」としてきちんと理由付けし、描ききっている。

映像的にも今回はなかなか印象的なシーンが多かった。サブタイトルにもなっている、ミレーの「オフィーリア」を模した水面に浮かぶリル。ちなみにオフィーリアはこんな感じ。水面にたたずむ二人のビンセントや銀河鉄道999冥王星を思わせる水中の死者のシーンなど、幻想と現実の境界にあるような表現だった。

それらの半精神世界の中で敵の口より語られる「プラクシーの孤独」。ビンセントはその孤独を自覚すると同時に、またその孤独を和らげてくれている存在を再認識する。

最後のリルのひとこと「偽物には影がなかった」。見直してみると本当に影がなかった。全然気付かなかった・・・。

省察十五「生 悪夢のクイズSHOW! / Who wants to be in Jeopardy!」

14話も突飛だったが、それ以上に突飛だった15話。突然はじまる「ミリオネア」ぽいTVクイズショー。回答者はビンセント・ロウ。しかも初期の細目のビンセント・ロウ。司会者はMCQ。応援席にはリルとピノ。なんだこれ、と思って見ていたが、番組が進むにつれ「この世界の真実」が質問として提示されはじめる。世界の状況、プラクシーの存在理由、移民船の存在、そして「プラクシーワン」。

これは「解説」の回だ。エウレカセブンで言えば、グレッグが自作の映画でエウレカの過去を説明したのと同様に、エルゴプラクシーではクイズ番組でいままで全く語られなかった部分の「世界」を垣間見せた。単に説明や語りではなく、クイズとしてしうところが憎いというかズルいというか。

しかし今までの重たい雰囲気と一転したテンションに面食らった人も多いようだ。でもこれも「プラクシーとの戦い」のひとつ。MCQはプラクシーで、前回精神の世界で偽ビンセントのプラクシーと戦ったように、クイズという形でビンセントと戦った、ということなのだろう。リルとピノは明らかに捕らえられているし、「カンペ出てるよ」とMCQが口にし、リルがそれを見た瞬間大人しくなってしまうことから、脅されているか弱みを握られているか、ともかくそういう従わざるを得ない状況にあるのだと思われる。

MCQの後半の台詞からもそれがうかがい知れる。そうやって見ると、あの無駄に明るいテンションもひとつの「演出」であることがわかるだろう。

もうひとつ気になったのは、ビンセントの見た目の変化。番組が進むにつれ、細目小柄だったビンセントが次第にたくましく、りりしい顔つきになっていく。これはプラクシー化によりビンセントの外見的特長も変化していったということの表現だろうか。しかし考えてみれば、リルはよく今のビンセントを見てビンセントだと認識できたものだなあ。

この話、ものすごくたくさんの重要なキーワードが出てきていると思うのだが、微妙に謎めいて提示されているのですんなりとは頭に入ってこなかった。ざっと見た感じからするとアニメ版ナウシカのように「異常な環境に適応した人類」と「正常化された世界に復活するはずの人類」の確執のようなものだろうか。そして「プラクシーワン」という謎の存在。このあたりが今後の重要なキーワードになりそう。この回はもう一度ゆっくり見直さなくちゃいかんかな。

省察十六「デッドカーム / busy doing nothing」

前回とまたまたうってかわって重苦しく静かな話。いわゆる「遭難」をテーマにした話。凪に遭遇し動けなくなった船の中で、リルがビンセントとピノを観察する、という構図。物資が次第に減ってゆき、リルは精神的に追い詰められていく。他者・・・しかも人間ではない他者との共同生活。リルは二人を観察することで、それらとの間に距離を置き、かつ優位を保とうとしていたのかもしれない。それは恐らく不安の裏返しでもあったのだろう。

一方でひたすらすっとぼけているビンセントとピノ。しかしビンセントって、こんな明るいキャラだったっけ? 船で旅に出た頃のビンセントとは大違い。むしろリル以上に陰鬱なキャラだったような気がするが。それをほぐしたのはピノ? それともリルの存在?

内容としてはほとんど「何もない」話だ。ただの動かない日常の話。大きな発見があるわけでもなく、戦いがあるわけでもない。眠りから覚め、顔を洗い、食事をして暇なときは外で遊ぶ。それだけ。しかしこの何もない話の中でも、すっとぼけたビンセントとピノに次第に影響を受け、リルは最終的に少しだけ変化を得る。

シーンとして印象的だったのは、休止状態のピノ。いつもアニメアニメしているピノが、ただの木偶人形のような無表情で座っている様は不気味でさえあった。しかしリルはその傍らで眠りにつく。そのギャップに、リルの心が変化していく様がよく表れていると思う。

もうひとつ、動きとして印象的だったのがピノが物をキャッチするシーン。テンポがよく、見た目に小気味よかった。物語の最初の頃はアニメアニメして世界にそぐわないキャラだなあと感じていたピノだが、実は誰よりも冷静に世界を見ていたりして、いつの間にかこのグループにいなくてはならない存在になっていた。

しかし、コギトウィルス。プラクシー以上にその存在はまだ謎めいている。


とにかく続きが気になる。