コトバノウタカタ

よしなしごとをつらつらとつづるばしょ。

続・続・猫を愛す


たびたびのトラックバック、かたじけないです。


私自身、最初のエントリで

それ以前に「愛」の定義自体曖昧なのだから、こんな思索は不毛なのかもしれないけど。

と書いておきながら、「愛」を前提に話をしてしまい話を曖昧にしてしまっている。申し訳ないです。


「猫と接すること」が「人と接すること」の妨げになるケース、というのはおっしゃる通り。猫を愛するあまり人と接することを怠ったり、また猫との触れ合いを人との触れ合いと同じだと錯覚してしまうことが弊害になることもあるかもしれない。猫と人との「違い」がどこかということもちゃんと認識しておいた方がいいでしょう、という話。


「猫が愛を返してくれる」というのは、テラヤマニア氏の「猫は本当に自分を愛してくれた人間を愛す」という言葉に対して出した話。なのでここで出すのはお門違いだったかもしれない。しかもこれも「愛」という言葉を前提に話してしまっているため、曖昧な話になってしまっているかもしれない。申し訳ない。


「支配」についての話は私の言いたかったことがご理解いただけたようでありがたい。最初に小林氏の記事とは120度くらい方向性が違うと書いたたけれど、ここまでお話をうかがって、実は向いてるベクトルは(まったく同じではないにしても)そんなに違っていたわけではないんじゃないか、と思いなおしております。アプローチの経路が違うだけで。