コトバノウタカタ

よしなしごとをつらつらとつづるばしょ。

丑寅/艮(うしとら)*

方角を十二支にあてていうときの丑と寅との中間の方角。つまり北東の方角。この方角は風水、陰陽道で言うところ「鬼門*」と言って、災いがやってくる方角として忌まれた。奈良時代平安時代の都市計画では、この丑寅の方角に寺社や神社を築いて都の守りとしたらしい。

と、風水の話をしたいわけではない。二つの干支を合わせて方角を表す言葉はこの他にも3つある。「辰巳/巽(たつみ)*」は南東、「未申/坤(ひつじさる)*」は南西、「戌亥/乾(いぬい)*」は北西を示す。干支二つで方角を表すというのも面白いし、それぞれが一語の漢字を持つというのも興味深い。まあ方角なんて十二等分してもわかりにくいから、八等分に直して使うというのは別に不思議ではないのだが。

「辰巳/巽」や「乾」については、氏名などに使われることもある。子供の頃にそういう苗字の友人がいたが、まさか北西という意味だなどとは知らなかった。

今では年の干支くらいでしか使わないが、昔は時間も方角も年も日も、すべて干支で表していた。干支とは本来、十二支と十干を合わせたもので、その最小公倍数は六十。つまり六十で一巡りする。六十歳で還暦というのは、暦の呼び名が一巡して元に戻る、ということを意味している。転じて年寄りが子供に帰るという意味にとらえ、子供が着るような赤いちゃんちゃんこを着せてお祝いをする。

また、「丙午(ひのえうま)*」の年に生まれた女の子はお転婆になるという迷信があり、近代になってもその年の出生率は顕著に低かったそうだ。歴史上の出来事にはけっこうこの干支に由来する名前がついている。戊辰戦争とか辛亥革命とか、たぶん干支から来てるんだと思う。日にちに関しても、土曜の丑の日など。時間に関しては子の刻とか丑三つ刻などといまでもたまに耳にする。

こんな感じで、いまでは日常生活とはほとんど無縁の干支だが、以前は生活に密接に関わっていた。こんなふうに、旧暦や干支など、昔の人たちの営みの根っこにあった概念を考えてみるのもまた一興だ。