コトバノウタカタ

よしなしごとをつらつらとつづるばしょ。

続・批評とか

考えがまとまったわけではないのだが、「海麗口コミ【飲むコラーゲン販売店】お得に購入するには」さんで取り上げていただいたので。

はっきり言うが、その批評や批判によって何がしかの進歩があるわけじゃない。誰も読まないし、誰も必要としていない。それを読むのは、新たな批評という形での言語消費を必要としているだけの人間だ。でも人間というのは言葉を紡ぎたい存在だから、まるで批評や批判が、当の批評・批判対象をより高めていると幻想するが、でも作り手はそんなものを読んではいないし、必要ともしていない。

なるほど。確かに「クリエイターと消費者」という構造の中ではそういう考えも一理あるかなあ、と。「作品を良くするため」なんて言うのはおこがましいのかもしれない。また特に小説などの個人的なところから作り出されるものは、読者の声で揺らぐようではダメなのかも。

ただし度を越した酷評は「作者のため」ということさえも意図してないものがほとんどだと思う。そうなるともう批評と呼べるかどうか微妙だけれど。


そもそも「批評」とか「レビュー」という言葉が良くないのかもしれない。「リコメンド」としてしまえばいいのかも。そうすれば少なくとも「作者への・・・」という意図は完全に消えるはずだし、酷評も場違いになる。

でも消費者にとっては「厳しい評価」というのもやはり価値がある場合も少なくないし、それを意図的に忌避するというのも健全ではないような気もするし・・・。でも作り手としてはそういうのはやっぱり聞きたくないだろうし・・・。難しいなあ・・・。


しかしこういうことを書いていくとまた、今後厳しい感想なんかを書くのを躊躇ってしまいそう。

接続詞

どうも文章を書くときに接続詞を多用してしまうので、減らそうと心がけてみたりしているのだが、いっこうに減らない。頭だけじゃなくて語尾も冗長だと思う。前も後ろも冗長なんだよね、私の文章は。言い訳がましいかき回しにするから語尾が長くなるんだろうけど。

DEATH NOTEあと3秒

DEATH NOTE (10) (ジャンプ・コミックス)
佳境も佳境!

あれはニアじゃない」なんて予想をしてたりもしたのだが、そんな予想大外れでキラとニアのガチンコ対決。次回が気になってしかたない。他の人の感想を読みに行きたいんだけど、予想がヒットしてる感想なんかがありそうで読みに行けない。ジレンマ。


盛り上がりに反して相変わらずツッコミどころはあるんだけどね。ライトが「ノートを挿げ替える前に試してみればいいものを」と言っていたけど、ニア(ジェバンニ)がそれを試したかどうかをライト知る術はないのに。ひょっとしたら試した上で、騙された不利をしている可能性もじゅうぶんにあるわけで。なのに「試してない」と断定しちゃうのはちょっと早計かな、とか。

でもいいです。盛り上がってるんで。


今回ここまでライトの手の内を先に晒すということは、ニアがその上を行く策を用意しているということだろう。でもどういう手だか想像できない。

また大外れを恐れず無理やり考えてみると・・・。

メロが高田をさらったときにニアの部下がそれを追跡。高田が死ぬ間際に高田が持っていたデスノートの切れ端を奪取していた・・・とか。そうすれば魅上の行動もある程度操ることができる。「現場に偽物のノートを持ってきて書き込む」とかね。そうすればメロの暴走にも「意味」が出てくるんだけど。違うかな・・・。


ところで、伊出さんの寿命が他の人に比べてものすっごい短かったような気がしたんだけど、気のせい?