コトバノウタカタ

よしなしごとをつらつらとつづるばしょ。

はてなブックマーク - 被害者の駆逐

一昨日のエントリのブクマを見ていて気になったことが何点かあるのでちょろっと。こうやってブクマを引用して記事を書くというのもちょっと妙な感じ。なんとなく合わせ鏡を見ている気分。

lsty 『[web][blog]悪いがちゃんちゃらおかしい。注目や批判や悪口が辛いのなら、webで意見公開する資格がないということだ。』

うーん、論に対する批判と、暴力的な言葉による人格攻撃を同列に語るのはいかがなものかと。批判や反論であればあってしかるべき。それもはてブのひとつの肝でもあると思う。しかし誹謗や悪口まで黙って許容しなければいけないのだろうか。それが辛い人間はWEBで意見公開してはダメなんだろうか。

takopons 『[sbm]「システムが越えていかねばならない壁だろう。」←受取側(被ブクマ者)の精神的ひ弱さの問題だろう。』

「弱いからダメ」とか「公開してるんだから仕方ない」、「どこにでも悪意は必ずあるんだからそれをいちいち気にしていてははじまらない」という意見があるのはわからなくもない。

しかしこれは「いじめっこの論理」ではないだろうか。「いじめられる側が強くなればいい」、「いじめられないようにすればいい」、「気にしなければいい」。そんなこと言っていじめが解決するんだろうか。極論を言えば、「自分の意見を言うってことは殴られても仕方がないってことだろ」と言っているだけなのではないか。

もちろん、自分の意見を公開するのだから、覚悟や責任は必要。強さや自衛もいるだろう。しかしだからといって、ただ攻撃された側を批難して責め立てていればそれでいいのだろうか。それって「死ねばいいのに」とか「星になっちゃえ」という誹謗や中傷の言葉を容認し、擁護することになってしまいかねないと思う。

被害者を駆逐して、その後にいったい何が残るのだろうか。悪意に対して弱いからダメなんだ、と言うだけではなく、悪意があるのであればその悪意をシステムで抑えこむ方法を模索してみては、というのが私の言いたかったこと*1


ひとつ補足。

はてブには悪意を顕現してしまうような傾向があることは皆が言及している通り。本当に単に被害者の被害妄想だけならば、こんなにあちこちではてブの暴力性についての話題が紛糾することもないだろう。

しかし私ははてなブックマーク自身に暗黒面があるとは思っていない。これはたんにツールであり、包丁が料理の道具にも人殺しの道具にもなるように、使う者の意図によって便利な道具にも凶器にもなるというだけのこと。

はてブの便利さ、面白さ、ポジティブな部分は評価しているし、そうでなければ使ったり見たりしない。はてブ大好きですよ。だからこそいろいろ考えてしまうわけで。

*1:あまり抑えこみすぎるとそれはそれで堅苦しくなって面白くなくなってしまう不安はあるが、そのあたりはいい塩梅を探して。具体案があるわけではないので理想主義的、空想主義的と批判されても仕方がないが・・・。