コトバノウタカタ

よしなしごとをつらつらとつづるばしょ。

泣いた

妻が今朝、NHK教育の教材用の「みんな生きている」という番組の「いつまでもいっしょだよ」という話を見ていて泣いてしまったと言っていた。4歳で白血病になり、5歳で亡くなってしまった男の子の話だそうだ。その闘病の様子を家族がホームビデオで撮影していて、それを教材として編集したものらしい。教材用のため15分の短い番組なのだが、その子の明るい様がうちの子とよく似ていたということもあって、泣いてしまったとのこと。

その話が気になって調べてみたのだが、残念ながらその話の放送は今日が最後ということで、再放送でもなければもう見ることはできない。仕方がないので、番組のホームページやブログの感想を見て回ってみたところ、だいたいこんな話だったようだ(妄想でかなり補間されているけど)。

男の子は4歳のときに突然白血病を発症、闘病生活を余儀なくされる。男の子には2人の小さな弟がいて、男の子と家族はビデオレターでコミュニケーションを取っていた。男の子は重い病で入院しているにも関わらず、とても明るくひょうきん者で、ビデオレターではどうやったらみんなを楽しくさせることが出来るのかを考えていた。


そんな男の子が一日だけ家に帰ることができる日がやってきた。男の子と弟たちは一緒に遊び、一緒の布団に入り、そして男の子はマスクをつけたままで弟達にキスをして短い兄弟の時間を楽しんだ。その一日が終わり、男の子が病院へ返るとき、弟達はお兄ちゃんがいなくなる寂しさで泣いていた。男の子は車に乗ってじっと前を向いていた。そして弟達の姿見えなくなってから、泣き出した。


男の子の病状は悪化していき、無菌室へ入ることになった。無菌室の天井には家族の写真や千羽鶴があり、男の子はそれを見て糧にしながら病と闘っていた。息をするのも苦しいのに、覚えた手の文字で弟に誕生日のメッセージカードを書いたりしていた。


しかしある日とうとう、男の子が急変した。弟達も病院にかけつけたが、男の子は息もできない状態で苦しんでいた。それでも、男の子は弟達の姿を見つけると、無菌室のカーテン越しに弟達の方へと必死に手を伸ばした。

そしてその夜、男の子は母親の腕の中で息を引き取った。


調べているうちに、私も、泣いてしまった。番組を見たわけでもないのに、話を追って想像しているだけで、涙が滴って顎から落ち、鼻水がじゅるじゅるになって息ができなくなるくらいに泣いてしまった。こんな風に泣くのなんていつ以来だろうか。しかも「人の話」で泣いたのは学生の頃の映画で泣いたとき以来、人生でまだ2度目のことだ。

これが作り物の映像ではなく、実際に親がホームビデオで撮ったものが流れていたとのこと。話を聞いただけでこれだけ泣けてしまうのに、そんなものを見たらしばらく取り憑かれたようになってしまいそうだ。


こういう類の話を聞いて泣くというのはいかがなものか、と今まではよく思っていた。特に自分が体験したことのない悲しい話を聞いて泣くというのは、人の不幸を見て自分の幸せを確認しているだけなんじゃないか、とか、所詮は同情や哀れみの気持ちなんじゃないか、とか思っていた。そう思う頭は今でもある。実際、うちの子はそういう病になることなく元気でいてほしい、などと願ってしまうわけで。


しかしそういうこととはまた別に、この男の子のことを考えると気持ちがすごく切なくなって、どうしても涙ぐんでしまう。うちの子と似ていると聞いたために想像力がより強く働くということもあるのだろう。子と接し、その喜怒哀楽を知り、そしてその無垢さや狡猾さを身を持って体感しているがゆえに。男の子が病院でおどけている様や、弟達に手を伸ばす様子、母親に抱かれて息を引き取る様子がリアルに想像されて、考えるだけで鼻の奥が痛くなる。なぜ悲しいのかどうにも説明するのが難しいが、とにかく涙が出てきてしまうのだ。


子がいなくなる不安を、実はいままでもずっと感じていた。しかしそれを実感して子にフィードバックするようなことはあまりなかった。でも、こういうのはちょっとズルいのかもしれないが、この話の後では、「子が少々わがま言ったりしても、元気に生きてさえいてくれればそれでいい」と、そんな風に思い接することができるような気がする。

追記

この男の子のお母さんの手記をまとめた本を見つけた。

ずっとそばにいるよ―天使になった航平

ずっとそばにいるよ―天使になった航平

読みたいけど、話を聞いてるだけで仕事中でも涙ぐんでしまうくらいなので、読むのが怖い。単に今自分の心が弱ってて涙もろくなってるだけかもしれないけど。