正直なところ、はてなブックマークの暴力性をなめていた。「死ねばいいのに」や「非モテ」の問題はなんとなく眺めていたが、それはブックマークの問題ではなく、ネットの匿名性が生んだ全体的な悪意の問題だと甘く見ていた。確かに問題は起きているが、それはずっと以前から存在するネット上のインモラルのひとつの形態に過ぎず、それが単にブックマークの性質上目立っているだけ、と高を括っていた。
くだらないたとえ話をすれば、音は時に人を不快にする。小さな音であれば単にノイズとして聞き流すこともできるが、大きくなれば騒音となり、さらに大きく、しかも継続的に鳴り響くのであればやがて人の平穏を蝕んでいく。
ネット上の雑言も同様だったということだろう。その根が例え旧来の全体的な問題であったとしても、顕在化した問題の末端は人を不快へと追いやる。さして気にとめることもないと思っていたささいな声が集約され、増大し、継続的に供されるのであればそれは暴力となる。
お題日記に参加していただき、アンテナにも登録していたid:iduru氏の日記が突然消えた。このことにより、私はようやくはてなブックマークの暴力性を実感した。iduru氏の最後の日記には、何かを書くたびにブックマークで批判的なコメントを付けられることが辛いとの内容が書かれていた。ネット全体に毒が潜んでいることは確かだが、ブックマークが孕む毒が一際強いということもまた事実だったのだ。そのことを思い知った。
知っている人が追い出されてからようやくその問題を直視できるようになるとは・・・。
でもね、ブックマークでのiduru氏へのコメントを見返してみると、決して悪意ばかりではないことに気付く。むしろ応援しているコメント、賛同しているコメント、素直にiduru氏のエントリーを興味深く読んでいるコメントもたくさんあった。数としてはネガティブなものよりもポジティブなものが多いくらいだ。
だがやはり「悪意ある書き込み」が目立ってしまうことも確かだ。ポジティブな書き込みが10個あってもネガティブなものが1つでもあればそのブックマークは悪い印象になってしまう。その辺りは、まだ若いブックマークというシステムが越えていかねばならない壁だろう。
だが単純に、iduru氏はポジであれネガであれ、注目されることそのものに疲れていたのかもしれない。しかし考えてみれば、ブログなんて仕事でもなければライフワークでもない。居心地の悪い場所に固執する義務はない。抜けたくなったのであれば抜ければいい、と思う面もある。
だが、個人的にはiduru氏がはてなからいなくなってしまったことは酷く残念だ。