コトバノウタカタ

よしなしごとをつらつらとつづるばしょ。

猫を愛す

下記サイトの議論で、「人と交われない人は猫でも飼ってみればいい。支配するのではなく、愛するのだ」というような話が出ていた。本題のモテ・非モテについてはひとまず解決したようなので言及しないが、この猫の話についてちょっと引っかかったのでちょこっと私なりの見解を。


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猫と人の間には必ず支配・被支配の関係が成り立つ。飼い猫の中には自由に外を歩きまわれるような環境にあるものもいるが、それでも飼い猫である限り自由とは言えない。飼われる猫に選択権はない。飼い主が飼うと決めればその猫は飼われるしかないのだ。猫にできることはせいぜい逃げ出すことくらい。猫が自分で「飼われること」を拒否することはできない。つまりたとえ支配欲を満たすことが目的ではなくとも、「猫を飼う」という時点でそれは猫に対する強制なのだ。飼うというその行為自体が束縛であり支配なのだ。極論を言えば、その猫をどれだけ愛したとしてもそれは「押し付ける愛」でしかない。

だから飼うな、とは言わない。ただ、猫を飼うということは多かれ少なかれ猫を支配することであるという自覚はあった方がよいと思う。


次に「猫の愛」について。猫を愛せば猫も愛してくれるとあるが果たしてそうだろうか。もちろん飼い猫でも愛情を注げば応えてくれよう。しかしそれは「愛を返している」わけではない。そう思えたとしてもそれは錯覚に過ぎない。猫はエサをくれる者、庇護してくれる存在に本能的に媚を売っているに過ぎない。

愛すれば応えてくれるというが、例えば餌付けなしで(外出自由にしてエサは外で自由に食ってこい、てな感じで)猫を飼いならすことができるだろうか。世話をするというのも愛情の一端なのかもしれないが、「物で繋ぎとめておく」ということを愛情と言い切ってしまうのには少々抵抗を禁じえない。

愛は無償であるというのなら、猫が返すものは愛ではないのではなかろうか。猫は無償の愛など返さない。猫は「何かを与えてくれる人」しか相手にしないのだから。


猫を愛することが人を愛することに繋がるということにも疑問を禁じえない。たとえば猫を溺愛しすぎて人を愛せない人間だっている。人間関係に疲れた人が猫を飼って癒される、ということもある。猫を長く飼っていれば情が移り大切に感じる、と言うかもしれないが、そんな感情は非生物に対してでも持つことはある。またそれは「所有物に対して持つ執着」と言えなくもない。この事実から考えると、猫と関わることと人と関わることとは根本的な違いがあるように思うのだが。

つまり猫を飼ってそこに愛情を注いたとしても、それは「猫を愛する」ことにしかならないのではないか。何かを学ぶにしてもせいぜい「生き物は尊い」とか「生き物はめんどくさい」というところだろう。


人を愛するということは、その人を対等な人間として扱うことに他ならない。相手を支配しようとしたときにそれは愛ではなくなる。ゆえに常に支配されることによってのみ存在しえる「猫を愛する」行為と、支配しないことによって成り立つ「人を愛する」行為とは大きく異なるのではないかと思う。「猫を愛するように人を愛する」ことはできないし、「人を愛するように猫を愛する」こともできないと私は思うのだが。


ま、実家で猫は飼っていたことはあるが、一人暮らしで猫を飼ったことはないので、私はとやかく言えるような立場にはないのかもしれないが。しかし猫を愛する、猫で癒されるということと、人と関わるということはやはりちょっと違うと思うのだよね。


それ以前に「愛」の定義自体曖昧なのだから、こんな思索は不毛なのかもしれないけど。

追記

同様の記事を元に猫を飼うことについて書かれた記事を発見。考え方は私とけっこう違うような気もするけど、一理あると思うところもあり。


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2つだけ。

猫は人間の美醜を関係なく懐く。「猫に懐かれないのは俺がキモメンだからだ」という理論は成立しない。だから存分に「内面だけで勝負」ができる

これって「内面で勝負」なのかな。猫は内面よりも、エサをくれるといかそういうところを見てそう。愛よりも、猫を懐柔する手管の方が猫とコミュニケーションを取るには効果的だったりする。「要は手管か」ってなことにならないかな。

確かに猫は顔は見ない。でもそれって例えば「見た目を良くする努力をしなくてもいい」「人よりも猫の方がいい」というポケットに陥る危険性もありそう。

猫との良い関係を育むことで、人間とコミュニケーションし異性から愛情を得るために必要なことの20%ぐらいは学べるんじゃないかと思う

これは言い得て妙だ。確かに猫を飼うことでコミュニケーションの何かを学ぶことはできるだろう。しかし言い方を変えれば「80%は違う」ということ。猫に接するように人に接することで失敗するという可能性だってあるわけで。そういうところは意識しておかないといけないと思う。