コトバノウタカタ

よしなしごとをつらつらとつづるばしょ。

子供が死ぬということ

ジュディマリのYUKIの子供が亡くなった。

同じくらいの子を持つ親としてはショックなニュースだ。「その辛い気持ちがわかる」なんておこがましいことはとても言えないが、しかし「子が死ぬ不安」というのは私にもある。まだ幼い子供には、今回のYUKIの子のように乳幼児突然死症候群(SIDS)という、原因も前触れもない死が訪れることがあるという*1。その突然死に限らず、自分の子を見ていると、それが弱い存在だけに、ときおりその生が不安になる。これは自分にまだ子がいなければわからなかった感覚だろう。

子育ては楽しいことばかりではないという。我侭を言ったり、怒ったり、泣いたり、子を相手にしていれば確かに楽しいことばかりではない。しかしそういうことも含めて子を可愛いと思い、愛しているのだ。

その存在がある日突然消えてしまうのだ。それも朝、突然目覚めなくなるというあっけない終わり方で。

何かしてあげられることがあったかもしれない。寝方が悪かったのか、食べ物が悪かったのか、煙草が悪かったのか。早く気づいて医者に連れて行けば助かったかもしれない。親はおそらくそうやって自分を責めるだろう。親を責めても仕方がないし、そういう運命だったと言うしかない。しかしそんな言葉では納得などできはしまい。

「いつも通り、元気に過ごし、いつも通りきげん良く、いつも通り『おやすみ』と言ったままの突然のお別れでした。私たち3人は本当に幸せでした」と報告した。さらに「私たちは息子を、精いっぱい愛しました。これからもずっと、愛しています」と悲しみをつづった。

こういうことに同情するなどというのは失礼のような気がして苦手なのだが、この言葉を読むとどうしても頭の奥が熱くなってくる。どう言葉を発していいかわからなくなる。ただ、切なさがこみ上げてくる。


普段コトバコトバ言っているのに、こういうときに言葉が出てこない自分が情けない。その代わりといってはなんだが、勝手ながら引用させていただきたい。

心の中の、あの子が笑ってくれるように、まっすぐ歩けたら、いいですね。

関連サイト

*1:YUKIの子の死因は発表されていないが、おそらくこれであろうととあるニュース記事にあった。