コトバノウタカタ

よしなしごとをつらつらとつづるばしょ。

頑張れに頑張れない

いつもお邪魔している日記に「頑張れ」についての話題があがっていた。「頑張れ」については私も書きたいと思って「書きたいもの覚書」に書き足していたのだが、長いあいだほったらかしにしてしまっていた。これを機にちょっと書いてみようと思う。

私の話はたいした話でもないし、リンクを張るのも申し訳ないのだが、きっかけになった元ネタを書かないというのも失礼な気がするのでリンクさせていただく。

via: id:KEN_NAITO:20050301:p3, id:ain_ed:20050303:p1


私も相方も、「頑張れ」という言葉が苦手だ。頑張ることそのものが苦手というのもある。だらだら生きていきたいダメ人間なので、努力とか根性とかいう熱い単語にさえ抵抗を感じる。


しかし理由はそれだけではない。「頑張れ」という言葉の裏には、「頑張ってないじゃん」とか「頑張りが足りない」というニュアンスが含まれているような気がするのだ。言われる方の立場から言えば「俺ってそんなに頑張ってないかな」「いままでも頑張ってきたのにまだ頑張らないとだめなのかな」というネガな気分になったりする。

また「頑張れ」と言葉を発する人はたいてい外の立場にいる人なのだ。自分が当事者ではないからこそ、「頑張れ」という言葉が出る。

もちろん、言う人、言われる人、言い方、シチュエーションなどさまざまな要因によってその印象は変わる。効果的な「頑張れ」は人に力を与えることもある。しかし安易な「頑張れ」は逆の効果をもたらすこともあることを知らねばなるまい。「頑張れ」というのは命令口調だし、威圧的だし、ときに無責任である。


「頑張れ」にこういう負の印象を持つのは私だけではないようだ。女子マラソンの増田明美氏も現役時代、観客から投げかけられる「頑張れ」に疑問を感じていたらしい。場合によっては「頑張れ」にカチンと来たこともあるとか。


とはいえ、私も口下手なのでついつい「頑張れ」という言葉を使ってしまう。後輩がしんどい仕事を押し付けられてヘコんでるときも、笑いながら「頑張れよー」としか言ってやれなかった。相方が報告書の締め切りに追われているときも「ほら、頑張らないと」と声をかけてしまっていた。

「頑張れ」に変わる言葉というのはどういうものがあるのだろうか。もちろん状況によっても違ってくるだろう。へこんでる人には「大変だなぁ」とか「頑張ったね」とか? 行き詰まって苦しんでる人には「できることからやってみたら?」とか? ダメだロクなの思いつかないや。人に声をかけるってのは難しい。


「頑張ることの価値」についても書いてみたいのだが、それはまたの機会に。

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