コトバノウタカタ

よしなしごとをつらつらとつづるばしょ。

金にならないということの価値

ブログ書いてると、ときどき身の程知らずにも、「これが金になればなぁ」なんてことを考える。物書きにあこがれていたし、今でもそういう仕事をすることが許されるのであればやってみたいと思ったりもする。いやはや身の程知らずにも程がある。

しかし、金にならないからこそ私のようなものが書くことを許されているというの気づいた。もしこれが仕事であれば、好きなことばかり書けないし、自由にも書けない。しがらみもあれば顧客への配慮もあるだろう。書きたくないこと、自分の考えと違うことを書かなければいけないかもしれない。当然クオリティも要求される。私のように無駄に長く、接続詞がときどきおかしいような文章を書いていては話にならない。

そう、ブログは金にならないからこそ自由なのだ。嫌になれば消せるし、間違ったこと書いたとしてもよほどのことがない限り「間違ってましたごめんなさい」で済む。愚痴を書いても、しょーもないギャグを書いても、呆れられるのはともかく、叱られるなんてことはない。締め切りもないし、書きたくなければ書かなくてもいい。書きたければどれだけ書いてもいい。なんという自由、なんという贅沢。

だから「お金になったらいいなあ」なんて思っちゃいかんのですよ。


これがいわゆる「合理化」ってやつです。「すっぱいブドウ」とも言います。