コトバノウタカタ

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不思議な少年 - 不変の運命

不思議な少年(3) (モーニングKC (998))

不思議な少年(3) (モーニングKC (998))

少し前の話になるが、「不思議な少年 第3巻」を読了した。感想を書かねばと思っていたのだが、書かねばならぬと思うことが多く、また考えもいまいちまとまらなかったので延び延びにしてしまった。このまま放置して新鮮味が失せるのも勿体ないので、少々無理やりだが書いてみることにする。

人知を越えた観察者であり干渉者である少年を通して、人々の営み、愛憎、夢、欲望などを描く手法はあいも変わらず鮮烈だ。時に優しく時に残酷に、少年は人々の運命を観察していく。世界や時代に捕らわれることなく自由に舞台を選べることで、短編集のような濃厚さと、長編のような一本筋の通った繋がりを同時に実現している。

しかし今回の「不思議な少年」にはいくつかの違和感があった。以下、ネタバレも含む。



まず南極での遭難の話。最終的に探検家は密航者に撃ち殺されてしまうわけだが、そこで少年は一言「気付かなかった」と告白する。過去を未来を知り、人の心を見通す力を持っているはずの少年が「わからなかった」とはどういうことか。分かっていて干渉しない、というのなら理解できる。しかし密航者の過去や考えが見抜けなかったというのはあまりにも杜撰だ。未来はともかく、過去ならば少年は知ることができるはず。あるいは密航者が秘めた敵意くらいなら見ぬけぬはずはないと思うのだが。この話によって今までの少年の「強さ」や「冷静さ」が多少崩れてしまったような気がする。

たしかに、少年がどこまでの力を持っているのかについては明示されていない。単に「人知を越えた不思議な力を持つ少年」という位置付けにあるのかもしれない。しかし時間を場所を自由に行き来し、全てを見透かしたような少年が、この話のラストだけは「普通に驚いている」というのはやはり違和感がある。少年が全て知った上で行く末を見守る、という話にしたとしても、充分意味があったと思うのだが。


もうひとつ。リストラされたサラリーマンの話。妻に愛想をつかされてひとりぼっちになる男に対し、少年が「行動することによって1億の可能性が1万になる」というようなことを言っている*1。しかしこれは、マーク・トウェインが描いた「不思議な少年」あるいは「人間とはなにか」と真っ向から対立する概念だ。

トウェインは言う、人間即機械、だと。以下、私なりに解釈している意訳。言葉足らずなのでうまく伝わらないかもしれないが、興味のある人はトウェインの「人間とは何か (岩波文庫)」を読んで欲しい。

全ての未来は過去と現在を条件として生じる一意不変のものである。全ては必然であり、偶然などというものは存在しない。人間の意思に関しても同様に、自由意志などというものはありえない。人が自分で選んだと思っている選択は、それまでの教育、環境、知識などから総合的に導き出された答えであり、その人はどうやってもその選択肢を選ぶことしかできない。どんな場合でもそれはそれぞれの条件下でその人が「最も適切」だと判断したものでしかない。

つまり、未来は過去と現在によって全て決まっている。そこに意思や偶然の介在する余地はない。否、意思や偶然と呼ばれるものでさえ、過去から導き出されたひとつの必然的事象でしかない。

トウェインと山下和美を比較するのはナンセンスだということはわかっている。山下和美は「不思議な少年」というタイトルを使ってはいるが、彼女なりの少年を描いているわけだから、トウェインの考えと相反するからと言って「間違っている」などとは言えない。

しかし、トウェインに傾倒からする私からすると「行動することで可能性が増す」という少年の言葉は欺瞞としか受け止められない。人間が言うのならまだしも、人間の運命の外にいる少年がそういう言葉を発するということに納得がいかない。行動する、ということさえも所詮は「過去の教育や記憶」から導き出された一つの行動でしかない。そこで行動するといことは過去によって定められている。ゆえに、行動することによって可能性が増すといことはありえない。すべては100%か0%なのだ。世界に揺らぎなどない。

ただしトウェインは、その「不変の運命」を変えることのできる存在についても述べている。それは自然の法や秩序の外にある存在。つまり「神」であり「天使」である。少年を天使とするのであれば、少年の干渉により「不変の運命」が変わるということは有りうるだろう。しかしそれは飽くまで「少年の干渉」が原因であり、人間の自由意志によって変わるものではない。人間には選択肢も自由意志もない。少年はそれを知っているはずである。

もちろん、少年がそういう「嘘」の言葉を発することによってリストラサラリーマンの運命に干渉し、未来を変えようと試みた、という解釈はできるだろう。しかしそれが意図的だと判断できるだけの材料が作中には見当たらない。

「不思議な少年」の第3巻。そういう意味で少々違和感を感じてしまった。もちろん、作品としては面白かったし、充分満足している。良い作品だからこそいろいろ考えられるわけだし、良い作品だからこそさらに上を求めてしまうのだ。

*1:数字はうろ覚えなので適当。