コトバノウタカタ

よしなしごとをつらつらとつづるばしょ。

傀儡の脳


この指の隙間から言葉がこぼれ落ちて行くような感覚はなんなのだ。指が硬直し、それが脳をまで硬直させているかのような不自由な感触。キーを打つ指がかつての滑らかさを失い、誤った文字ばかりが呼び出される。指の惑いは思考の混乱を招き、言葉の流れを断つ。否、そもそも言葉の流れなどない。指に責任を押し付けるのは悪い。

あるいは本末が転倒しているのかもしれない。まず脳が硬直しているから、言葉も指も動かないのではあるまいか。ならば指にはそもそも責任などない。そうではなくとも指が悪くはないということはわかっている。指の不自由は単に表出でしかない。思索の麻痺が体の麻痺を引き起こしているに過ぎない。

思索と指の不如意は、書くことの快感を削ぐ。むしろそれはもどかしさを産み、不快をさえ呼ぶ。しかし書かぬことには居られない。書くことだけが己のアイデンティティを保つ唯一の楔となっている。なってしまっている。何も産んでなどいないのに、産んだ気になり、どうにか我を繋ぎ留めている。書くことによって保ち、また書くことによって削る。書きたいことは湯水の如くに湧いてくるが、書く力はエクリチュールを成す度に明らかに減衰している。必然、書きたいことが山のように積み上げられ、それを処理できない精神が破綻をきたす。それでも諦めきれない。借金を抱え込んだ倒産寸前の会社のように、止めることも逃げ出すこともできず、おざなりに日常作業を続ける。言葉の山からネタ引っ張り出して書き記し、その不甲斐なさに自己嫌悪する。その自己嫌悪を誤魔化すためにまた書く。書くことその行為そのものが無限のサイクルを作りだし、私は書かずにはいられないくなる。

そこに何があるのか。底に何があるのか。動かぬ指でその奥を探る。触れる感触はただただぼんやりとしている。そもそも指先は何かに触れているのか。その触れているものは果たして本当にそこにある物なのか。何もわからぬ。誰も答えぬ。私の指の動きはますます硬い。一語を文章の列の上に並べるたびに私の脳細胞が死ぬ。シナプスは化学物質を分泌するのを止め、送り伝えられる電気信号はエネルギーを失う。妄想。そう妄想だ。誰も確かめたわけではない。だが確かに私の指は動かない。

これは呪いだ。己が己にかけた呪い。解けるかどうかさえ判らぬ硬直の呪い。私はゆっくりと死んでいく。だから今のうちにやっておかねばならない。いつかスポンジ状になった脳が最期に発する言葉を探しておかねばならない。