コトバノウタカタ

よしなしごとをつらつらとつづるばしょ。

甲子太郎!!

新撰組!の第43回「決戦、油小路」までようやく見た。ネタバレだが、そんなものどうでもいいぐらい切ない。三谷幸喜がまたやらかしてくれた。なぜこうも、持ち上げて殺すのが上手いのか。上手すぎて腹が立つほどだ。

いままでずっと悪役、敵役として振舞ってきた伊東甲子太郎。今回も近藤勇暗殺の腹づもりで1対1の対談に誘う。しかしその席で、近藤の真意と志の強さを知り、感銘を受け、刃を近藤に差出して己の敵意を捨てた。その帰り、新選組のトラブルメーカーのバカドモが甲子太郎に襲い掛かる。その場で斬って捨ててもいいものを、甲子太郎は近藤への義理立てか、それとも争いを起こして場を壊すのを避けたのか、叱責一つで通り過ぎようとする。その背へ切りかかるバカ。もうバカ。本当にバカ。小説版ガンダムでシャアと和解した後にアムロをぶち殺した兵士くらいにバカ。見ていられない。

ところで、今回はじめて近藤がカッコイイと感じた。理想を語り、甲子太郎をさえ納得させてしまう近藤の強い説得力のある言葉。そして覚悟。

しかしその後がいけない。若い衆が甲子太郎を襲うことを危惧していたなら、新選組の誰かを護衛として付ければよかったのではないか。永倉と佐之介あたりをつけていればあんな事態にはならなかった。近藤はそういう手落ちが多い。そもそも甲子太郎に「もっと早く腹を割って話し合えばよかった」と言っていたが、いつもそうだ。山南さんのときもまったく同じことを言っていたではないか。山南さんの死から何も学ばなかったのか。その愚鈍さのせいでいままで何人の仲間が死んだことだろうか。前回の坂本龍馬だってそうだ。今回の藤堂平助だってそうだ。あと一歩先を読んで早く手を打てば回避できた死ではないか。無垢と愚鈍は違う。特に上に立つ人間は、どんなことがあれ愚鈍を理由に言い訳をすることはできない。近藤はその愚鈍さで、決定的な魅力を欠いてしまっているように思う。

すべて話を盛り上げるためのジラしのテクニックだというのはわかっているが、ついつい入れ込んで考えてしまう。やっぱり三谷幸喜には腹が立つ。


平助の死も切なかったが、彼は武士として戦い、武士として死んだ。誤解で腹を切ったり、後ろから切り付けられたりしたわけではない。逃げられる状況であるにもかかわらず、自らの意思で逃げずに踏みとどまり、戦って、死んだ。彼は本望だっただろう。あそこで生き残っても、平助は自責の念と後悔で押しつぶされてしまっていたのではないか。そういう状況になってしまったこと自体悲しく、また「死んでよかった」などと言うつもりは毛頭ないが、武士として戦って死んでいった平助は潔い。

平助の死は甲子太郎の死と対照的だ。戦う意思を見せぬまま後ろから切りつけられた甲子太郎。しかし彼の死もまた武士然とした死だ。近藤を信じ、新選組の若い者たちを信じて刀さえ抜かずに背を向けた。達人であれば後ろから狙われていることぐらい見抜けるだろう、とも思ったが、彼はそれでも刀を抜かなかった。武士らしい筋を通した死とはいえ、甲子太郎の死は本意ではなかっただろう。また近藤と共に歩む未来もあるかもしれない。そんな淡い未来を想像している最中に訪れた死。だからこそ余計に切ない。もう後のない平助の死とはやはり違う。まあ、甲子太郎の死がなければ平助の死もなかったわけで、そういう意味では平助の死も理不尽ではあるわけだが。

ただし、武士らしい死が美徳だとは思わない。ただ彼等はそうやって死んでいくしかなかったのだ。だから余計に切ない。


追記
藤堂平助役の中村勘太郎、いままでおっとりのんびりな雰囲気のキャラだったが、最後の戦いでは壮絶な表情を見せていた。さすが歌舞伎役者。眉がつりあがり、口がヘの字に曲がり、歌舞伎の見栄切りそのもの、という感じだった。土方の泣き顔に続いて、今回のドラマの印象的な顔のひとつとなった。