コトバノウタカタ

よしなしごとをつらつらとつづるばしょ。

眼の中の影

今日、相方にせがまれて、家族で連れ立ってとある山の上にある公園へと行った。そこには芝生の広場があり、子を遊ばせながら、芝の上に寝転んでみた。芝の上に寝転ぶなどいったい何年ぶりなのだろうか。元々インドア派*1の私だったが、ここ数年はその傾向がさらに悪化している。休日といえばほとんど寝て過ごしてしまっている。出かけてもすぐ疲れるし、子がいると外でのんびりするということもなかなかできなかった。しかし子もそれなりに大きくなり、どうにかよちよちと歩いたりしはじめたので、それならば、と芝のある公園に来て遊ばせることにしたのである。

そうやってちくちくとする芝の上に寝転がり、青い空を見ていると、眼の中に影が見えることに気づいた。そのような影があることは数年前から気づいていた。一度気になったので眼科に行って見てもらったほどだ。しかし眼科でも、「原因はわからないが悪いものではない。老化とともにそういう影はできてくるものだからあまり気にしないで」というなんとも歯切れの悪い診断結果をもらった。最後に「こんなに若いうちから影が出るってことはあまりないんだけどね」と気になるようなことも言われたが。

しかし影といっても実際にはそれほど気になるものではない。日常生活においてはそれがあることさえ気がつかない程度のものだ。しかし、明るいところや白い背景を見ると、それが目だってよく見えることがある。それほど大きな影ではない。眼球の中なのでサイズがどのくらいと説明するのは難しいが、パソコンのディスプレイの文字ひとつ分ほどの大きさもないくらいだ。ただ、それが眼球の動きに少し遅れて、つつっ、と視界をよぎったりする。おそらく眼球内の水晶体の中に何かが浮かんでいるのだろう。

しばらく、その影の存在は忘れていた。なくなるわけでもないが、さして大きくなるわけでもなく、医者にも気にしてもはじまらないと言われた。しかし明るい空の下、何をするでもなく見ているとその影がやけにはっきりと見えてくるのだ。なんだか以前より影の数が多くなっているような気がする。単にこういう抜けた明るい場所に来る機会がなかったからいままで気づかなかっただけかもしれない。それでも、なんだか以前とは様子が違う。片眼だけにしか見えなかった影が、反対の眼にも見えるようになっている。左右の影は形も違う。それぞれ別の影が左右それぞれの眼に見えているのだ。

じっと眼をこらし、焦点を合わせてみる。目の中のものなのに焦点があうのか、と思うかもしれないが、これが焦点が合うものなのである。目の中の影をじっくり見ると、それは小さないびつな丸の塊のように見える。時折丸から筋のような線が延びている。いくつかの丸がひとかたまりとなって影になっているのだ。その丸の中心には黒い点が見える。そう、それは理科の時間に顕微鏡で覗いた細胞のような見た目をしているのだ。無色透明。丸の集合の形はいびつで、細長く固まっている。上記の画像は全体像はかなり違うが、粒の感じと線の感じが似ている。実際には細胞の数はそんなに多くはなく、せいぜい20個か30個程度。また細胞の輪郭や核がもっとはっきりと見える。

眼の中の細胞が欠けたか、あるいは他の何かか。ちなみに上にあげた画像は菌類のものだ。眼の中に黴の菌糸が根でも張っているのではないかと不安になったりもする。

この「眼の中の影」といのは、きわめて個人的な経験だ。夢のように、幻覚のように、その本人にしか知覚できないモノである。見える、と言ってもそれを他人が見ることはできないし、見えているということを確かめることもできない。それこそ視覚情報の共有化でも実現しなければ、絶対に他人が見ることはできない。


とここまで書いて、相方に聞いてみたら「私も見える」との返事が・・・。これって普通に見えるもの?

*1:と言えば聞こえはいいが、単なる出不精。