コトバノウタカタ

よしなしごとをつらつらとつづるばしょ。

散髪行ってきた


朝の予告どおり散髪に行って来た。美容院ではなく、理容店。理容店とはいってもちょっとこじゃれた感じで、店員さんも半分は女の人という少し変わった店だ。鋏をほとんど使わず、剃刀でザクザクと髪の毛をすいてくタイプの切り方をするところも変わっている。おしゃれは苦手な私だが、理容店ということもあり、散髪をするときにはその店に行くことにしている。

散髪は苦手だ。嫌いというわけではないが、面倒くさいし、じっとしている時間が長いので落ち着かない。さらに、家族以外の人間が直接人が肌に触れるという特殊な環境にある。これがまた緊張する。

他人が肌に触れることは、私の日常生活においてほとんどといっていいほどない。そんな私でも他人が肌に触れる場所がある。医者と歯医者、そして散髪屋だ。特に散髪屋は、定期的に通うし触れられている時間も長い。しかも顔やら首筋やらに刃物を当てられるのである。恐怖感まではないが、常に緊張感と落ち着きのなさが付きまとう。

また散髪してもらっている間ずっと席に拘束されるというのも、散髪を苦手と感じる要因のひとつだ。緊張性大腸過敏の気のある私は、このような軽く席を立つことのできないシチュエーションがダメなのだ。時間的余裕のない長距離の旅行や式典、席を外せない会議など、とにかく苦手。散髪もそのひとつ。たかが1、2時間とはいえ、「お腹が痛くなったらどうしよう」という不安を常に感じている。

もうひとつ、コミュニケーションという点でも散髪屋は苦手だ。「どういう風に切りましょうか」とか「これでよろしいですか」と問いかけられるだけでも緊張しておっかなびっくりで答えてしまう。最近はそれでも多少注文をつけたりもできるようになったが、最初んうちなどは、鏡を見せられても、何も見ずに「それでいいです」と答えてしまっていた。ただ、私が通うその理容店は、世間話などをしかけてくるということがほとんどないのでありがたい。だから通っている、というところもある。

さらに、ヘアカタログを手渡されるというのも困る。ファッションセンスなどまったくないので、どういう頭にしてほしいかというビジョンもないし、それ以上にヘアカタログに写っている頭が自分の頭になるというイメージがまったく沸かないのだ。想像もできない。だからヘアカタログを見て髪型を選ぶということができない。最初の頃は有無をいわさずヘアカタログを渡されていた。そのたびに「すみません、カタログで選ぶの苦手なので」と言ってカタログを返してした。最近は店側も私の苦手意識を理解してくれたのか、事前に「ヘアカタログごらんになりますか?」と聞いてくれるようになった。ありがたいことだ。


しかし一方で、散髪してもらっている最中というのはやけに心地よい。ときには目が開けられないほどぐっすりと熟睡してしまうこともある。普段与えられない頭部や顔への刺激がマッサージ効果にでもなっているのだろうか。しかし寝ぼけた情けない顔を見られているかと思うと、またまた苦手意識が増してしまうのである。つまらない悪循環。

とりあえず頭はすっきり。でも頭がすーすーして風邪が悪化、なんてことにならなければよいが。