コトバノウタカタ

よしなしごとをつらつらとつづるばしょ。

スカイハイ 第四死

スカイハイ(2) [DVD]
深夜にテレビでやっていたので見てみた。このドラマの存在は知っていたのだが、実際に見るのは初めて。

いずこ役が釈由美子だし、あまり期待せずに見始めた。釈についてはすごく上手いとか、役に合っていると言うほどではないが、心配していたほどの違和感はなかった。最後の「お逝きなさい」の台詞などが軽いので、全体的にもっと重い雰囲気が出せればもうちょっと良かったのだが。ちなみに昨日は電波の状態のせいで画面が荒れまくっていたので、暗い恨みの門のシーンでは細かい部分がほとんど見えなかった。あるいはそれで違和感が薄れたのかもしれないが。

物語としては、イジメにあっていた女子高の生徒が、同じくイジメられていた友達にわざと殺されて死に、イジメっ子を呪い殺そうとする話。この話は私にとってスカイハイの中でも、ホテルの話と並んで印象の強いモノだった。ゆえに、感想もそれなりに辛くなるかも。

ドラマはおおむね原作に沿って話が作られていたが、元々短い話を一時間に引き伸ばしているので、冗長な逸話がいくつか入り込んでいた。逆に、原作にあった決定的に大切な部分が抜け落ちていたように思う。

抜け落ちていた大切な部分のひとつは「人を殺した者は地獄に行く」という話。友人を殺した眼鏡っ子は、死ねば地獄に行くのだ。漫画ではそのことがしっかりと描かれていたが、ドラマの方ではそれに関する言及がひとこともなかった。殺された方の子は再生の時を待つことになったが、生き残った方の子は終りのない地獄へ逝くことが決定付けられている。殺された子の悲劇ばかりが強調されているが、生き残った子の方も、業を背負った悲劇の子、として描くべきだったのではなかろうか。

次に、「死ねば一人しか殺せないけど、生きていれば三人を殺すこともできる」という台詞がドラマではなかった。この台詞がこの話の肝だと思っていただけに、抜け落ちていたのは痛い。この言葉が「死して復讐すること」の愚かさを語っている。もちろん、生きて復讐すればよいとうい話ではない。しかしこれは「生きることの可能性」を示唆する重要な台詞だったと思う。ドラマの設定上、眼鏡っ子は「一人しか呪い殺せない」ということを知らないことになっているので、この台詞が出せなかったのはわかるが、ならば設定を変えたことからして間違いだったのではなかろうか。

もうひとつは、殺された子が生き残った子を殺そうとするシーン。原作では風呂の中でざばりと出て来たが、ドラマではプールになっている。別に裸が見たいとかそういうことではなく、お風呂という密室、肌が触れ合うぐらいの近く、周りに人はおらず、裸という無防備な状況で友人の幽霊に襲われる、というシチュエーションが恐怖感を増していた。しかしそれらの要素が、舞台をプールにすることでごっそりと抜け落ちてしまった。ちょっと残念。


しかしこの話、原作の方にも疑問点というか、腑に落ちない点がいくつかある。

まず、いずこが死者の選択に介入しまくっているという点。いずこの介入はこの話に限ったことではないのだが、「呪い殺したい」と断言している死者に対して、現実を見せ、助言を与えることで再生へと向かうことを促している。呪い殺す瞬間にまで「自分で殺してと言っておいて」「生きている者に嫉妬しているだけ」というようなことまで言っている。他の死者に対しては、呪い殺すという考えに忠告さえ与えない場合もあるのに、この回に限っては介入しまくりだったのが気になる。

次に、死後にいじめっ子たちに対してメッセージを送っているのだが、そういうのってありだっけ? ドラマではそれが顕著で、イジメっ子の前に再三幽霊として姿をあらわし、物を壊したりして干渉しまくる。他の話では、死後に生者に干渉することはできない、という設定になっていたと思うのだが。さらには殺された子は、自分を裏切ったイジメられっ子友達の前に姿をあらわし、首を締めて殺そうとする。そこでいずこに諌められ、呪い殺すことを思いとどまるわけだが、この場面ではメッセージを送るどころか、生者の前に姿をあらわし、その身体に触れ、危害まで加えている。呪い殺さなくても、メッセージの送信や姿をあらわすことだけで充分「呪い」や「復讐」になっている。恨みの門は死者のそういう復讐を許している、ということになる。それならば進む道を決定するまでの12日の間に、恨みのある相手に嫌がらせしまくってから「再生を待つ」を選べばいいじゃん、と思うのだが。


とまあ矛盾点ばかりを突いてしまったが、単純に見るにはそう悪くはないドラマだと思った。来週はホテルの話だし、見てみるかな。あの醜く歪んだ女性の顔をドラマでどう表現するのか気になる。変な特殊メイクだったら嫌だけど・・・。

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