コトバノウタカタ

よしなしごとをつらつらとつづるばしょ。

見えない夢

id:exhum氏の日記の、夢の話*を読み、ふと、最近夢を見ていないことに気づいた。否、見ていないということはないだろう。人は必ず毎晩夢を見るという。ならばただ、覚えていないのだ。夢の内容はおろか、夢を見た記憶さえない。見えない夢。知覚さえされない夢は果たして存在すると言えるのだろうか。

夢の忘却について、同じid:exhum氏の日記の中にこのような話があったので興味深く読ませてもらった。

夢というのは自分の経験した精神的にたいへんなこととか辛いこと、何かひっかかってしまったものを、うまく処理をするための心の(脳の?)働きであるらしい。どんな人間でも日々経験するようなさまざまな日常の圧力から自分の自我を保護するために、人は夢を見る。この機能が完全に遂行されるためには、夢を見た上でそれが忘れられることが必要なのだ、とその人は言った。そのために夢ははじめから忘れられるように作られている、夢を思い出そうとしてもすぐ忘れてしまっていたり、なかなか思い出せなかったりするのはそのためだ、たまにすらすらと夢を思い出せる人がいるが、あれは一種の精神的な病で、この機能に障害がある人だ。夢は忘れられなければならない、それを無理に思い出そうとすれば、とやけに芝居がかった口調でその人は言ったのだが、あなたは自分の心を、自我を、傷つけることになる。

夢日記をつけることにより自分のストレスや状態を把握できる、と積極的に夢日記を書くことを勧める話は聞いたことがあったが、夢日記を否定的に捕らえている話は初めて聞いた。

しかしそれならば、夢を覚えていないと言うのはどういう状況なのだろうか。忘却が健全な状態というのであれば、夢を見たことさえ覚えていないというのはきわめて健全であるという証か。しかしいま、自分が肉体的にも精神的にもきわめて健全であるとはとても言いがたい。おそらくはアレだ、先日書いたとおりの睡眠時間の不足で、ゆっくり夢を堪能している暇もない、ということではなかろうか。

いっぽうで、10年以上前に見た夢をいまだに覚えている。たいした夢ではない。前の晩に見た「ターミネーター」のパロディのような夢だ。ただリアルであまりに印象に強かったために覚えている。最後に夕日を見てエンディングを迎えたことまで覚えている。単純に前の晩に見たものが脳裏に焼きついているのだと思うが、そこにも何か自分でも気づかぬトラウマが潜んでいたのだろうか。

たぶん私の中身はそんなに複雑ではない。単純でつまらない構造だ。そうであれば深いトラウマなどではなく、単に周囲に感化されて見ただけの夢だとは思う。ただ、そんなつまらない夢をいまだに覚えているというのが、我ながら不思議だ。