コトバノウタカタ

よしなしごとをつらつらとつづるばしょ。

女性が怖い

私は女性恐怖症の傾向がある。嫌いというわけではない。苦手というには少し言葉が足りない。やはり怖いのだ。怖いという言葉が一番しっくりとくる。知っている女性ならまだしも、知らない女性相手だと、それがお店の店員さんでも酷く緊張する。いや、緊張するのは女性ばかりではなく、男性相手でも激しく緊張するのだが、女性の場合はその度合いが酷い。意識しすぎだと馬鹿にされるかもしれないが、意識したくなくとも意識してしまい、自分を追い込んでしまう。対人恐怖というのはおよそそのようなものだろう。

思い当たる原因を紐解いてみても、これだというものに思い当たらない。トラウマになるほど女性に酷い目にあわされたこともないし、母親が厳しく逆らうこともできなかったなどということもない。劣等感は強かったが恐怖を抱くほどでもなかったし、幼い頃は女の子の友達も多かったような気もする。だからなぜこのようなことになってしまったのかわからない。ずっともてなかったということが原因かもしれないとは考えるが、逆に女性に対する恐怖感が強かったためにもてなかったのかもしれないとも思う。

ときにはこんなこともあった。とある女性の彼氏から遠まわしに「俺の彼女だから惚れるなよ」という意味合いのことを言われた。実際にはその頃には、私は今の相方と付き合っていたし、相手の女性に対しても同僚という意識以外なにもなかった。おそらく私がその女性と話をするときの挙動不審な態度が、「気がある」というようにでも見えてしまったのだろう。そしてまたそういうことが、ますます女性に接することへの恐怖心を増大させていった。

そんな私だが、恐怖感を抱かず、家族以上に気軽に話せる相手と出会い、運良くどうにか結婚にまでいたることができた。それでもまだ、世間一般の女性に対する恐怖感はぬぐえない。むしろ学生の頃などよりも閉じこもりがちな生活をしているため、その度合いが強くなってきているような気さえする。

無邪気にどんな人に対してでも甘えていける我が子を見ながら、羨ましいような悲しいような妙な気分になる。もちろん、三十を越えた私が同じようなことをしたら犯罪になってしまうわけだが。実際に抱きつきたいというのではなく「やましい気持ちなく人と接することができる」というのが羨ましい。やましい気持ちというのは必ずしもいやらしい気持ちではなく、変に計算したり、余計な気を回したり、悪い想像をしてしまったりする気持ちのこと。自分に自信がないことを相手に転化してしまい、こんな自分が女性に話しかけるなんて、自分なんてどうせまともに相手してもらえないだろう、という醜い後ろめたさ。そういう自分のやましさが情けない。子の甘えにはそういう計算がないし、だからこそ女性も気軽に受け入れられるのだろう。

子をうらやんでいても仕方がないが、ともかくこの恐怖感は簡単には直りそうにない。日常生活に支障をきたすほどではないが、そういう対人恐怖で人生の幾分かは損をしているような気がする。ま、もてないから変な誘惑がなくて悩む必要もないということは、いいことなのかもしれないが。*1

*1:画像は、画家クノップフの「愛撫」という作品の一部。女性恐怖症で検索したらヒットした。この人の場合、シスコンということなので、私の恐怖症とはかなり異なるが。