コトバノウタカタ

よしなしごとをつらつらとつづるばしょ。

ロシアの学校立てこもり事件とチェチェン問題について

ニュースを見ながら、チェチェンの過激派に対して激しい憤りを覚えていたが、いろいろ見ていくとそんな単純な話ではないようだ。

人質になっていた子供の証言に以下のようなものがあったらしい。

やせて背の高い男の人がいた。35歳くらい。典型的なチェチェン人だった。右手に包帯をしていた。武装グループの中でも彼が一番怒っていた。いつも私たちを脅かし,天井に向けて発砲していた。ぎゅうぎゅうづめになっていたので私は気分が悪くなり,何度か気を失った。だからママがその人に,この子に空気を吸わせたいから廊下に連れ出していいかと訊いた。意外なことに,その男の人はいいぞと言った。廊下で私は吐きそうになっていた。脚はちゃんと立たず,壁ぎわに置かれていたリュックサックに腰をかけようとした。するとその男の人は言った。「それには座るな,地雷が入っている。それじゃなくてこっちのに座れ。」 _ その人に私は訊いた。「小さな子だけでも逃がしてくれるよね?」彼は言った。「いいや――どうして? チェチェンではお前らロシアの軍隊がお前のような子どもを捕まえては頭を切り落としているんだ。俺にも娘がいた。ちょうどお前と同じくらいのね。その娘をロシア軍は殺したんだ。」

報復による殺人、しかも子供を殺す報復などあってはならない。しかしチェチェンを抑圧し、ロシア軍による残酷な行為を許していたロシアが、今回の件を非難することができるだろうか。同じことをしても、国がやれば「政策」で済まされ、反政府組織がやれば「テロ」とレッテルを貼られる。これはロシアに限らず、アメリカでも同じことだ。

チェチェンでは、ロシアの軍隊が虐殺やレイプを行っている。学校に乱入して女生徒を捕まえ、斬首するという事件も発生していると聞く。プーチンはそれに対し、「一部の逸脱した者たちの愚行」であり、イラクのアブグレイブ刑務所での虐待と同じで、政府には責任はない、と言っている。しかし政府には管理責任がある。国内での殺人を取り締まる責務もある。それらを押し込め、隠蔽し、報道規制をし、無視し、責任転嫁して責任放棄をする。それが憎しみの連鎖を生んでいるのだ。それをわかっている上で、アメリカもロシアも正義を唱えている。反吐が出る。奴らがやっているのは弾圧と殺戮であって、正義のための戦いなどでは決してない。

また、強行突入に関しても、ロシア軍が計画的に行ったことであるという説がある。さらには学校内部での爆発も、ロシア軍が強行突入の際に起こしたものだという話まであるほどだ。

ロシアでの報道規制、情報操作はかなり強いらしい。人質の数が実際の三分の一以下と報道されたのも情報操作によるものだという説が有力。確かに、逃げ出せた生徒の数を数え、残りが学校にいる、と考えれば、どのくらいの生徒が学内にいるか、なんてもっとしっかりとわかったはずだ。少なく見積もるにしても少なすぎる。突入計画を実行し、事後に責任逃れをするために、わざと少ない値を報道していた、という可能性は高い。

さらに、チェチェン問題を扱うアンナ・ポリトコフスカヤという人が、毒殺されかけたという事件も起きたらしい*。他にも毒殺された人がいるらしいし、ロシア政府に批判的なことを書いていた編集長が解雇されたりもしているし。なんかもうめちゃくちゃだ。こうなると、立てこもり時に学校内を撮影したという映像も怪しく思えてくる。ああやって「爆弾があった」ということを強調して、全ての責任はテロリストにある、と思わせようとしているのではないか、とさえ勘ぐってしまう。

今回の立てこもり事件に関しては、チェチェンの政府に対する怒りや憤りを、イスラム原理主義組織が利用したのだろう。醜い争いがさらに醜い事件を引き起こし、連鎖し、加速して肥大化していく。それを力で食い止められるわけがないのだ。どんなに力を注いで反政府組織やテロリストを抑圧しても、押し付けた分だけ反発は高まる。実際にテロは減るどころか、規模も大きくなり、数も増えている。殺しても殺しても、その殺したことにより新たな憎しみが生まれ、更なる反発が生まれるだけなのだ。こんなことを続けていて何になるというのだろうか。

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