コトバノウタカタ

よしなしごとをつらつらとつづるばしょ。

日本語って面白い

日本語が大好きだ。他の言語をよく知っているわけではないが、これほど表現力が豊富な言語もなかなかないのではないかと思う。曖昧で難しいと言われる日本語だが、それだけ変化と創造性に富む言語であるということだろう。文法に関しても、表記に関しても、その表現力の幅は限りなく大きいと思う。


日本語の特徴のひとつに、平仮名と片仮名がある。何気なく使っているこれらの文字だが、表音文字が2種類あるというのは面白い。そして平仮名と片仮名では、意味は同じでもニュアンスがまるで変わる。漢字表記と組み合わせればさらに表現力は増す。

例えばこのブログのタイトル「コトバノツドイ」。これを「言葉の集い」と書くと、意味は同じでもまるで印象が変わる。漢字交じり文字で書けばややお堅く正式な感じ。ある意味面白みのない表記となる。平仮名で「ことばのつどい」と書けば、軟らかい子供っぽい感じになる。片仮名で「コトバノツドイ」となれば、無機質で硬質な印象。どこか突き放したような、客観的なようなよそよそしい雰囲気になる。あるいは昔っぽい感じにもとれる。

それらを混ぜて「コトバの集い」とか「言葉のつどい」などとしてもそれぞれ印象が違ってくる。さらに、同じ「ことば」という読みでも、「詞の集い」と書けばまたニュアンスが大きく変わる。このように、同じ読みの言葉でも表記の違いだけでこれだけ多様な表現が作り出せる。

さらに、意味は同じでも和語と漢語によっても印象が大きく変わる。「言語集合」などと書けば、本来の意味はだいたい同じでも、まったく異なった印象になる。


他に、他言語の取り込みがしやすいという柔軟性があげられる。これは片仮名の恩恵が大きいのだが、英語であろうとドイツ語であろうと、フランス語であろうと、発音可能な語であれば、あるいは発音不可能でも近い発音をもって、片仮名語として日本語の中に簡単に取り込めてしまう。表記だけではなく、言葉として取り込むことも多い。「キックする」のような動詞化はもちろん、「ダブる」「おニュー*」「サボる*」のように、完全に日本語として吸収してしまうこともある。


次に、造語の作成のしやすさ。漢字という表意文字のおかげで、新しい単語が簡単に作り出せる。「人面犬」などの複合語はもちろん「天杯」とか「奇美」とか、適当に漢字を合わせて作った語でも、なんとなくニュアンスがわかる。文脈と合わせて使えば、いままで誰も使ったことのない語でも意味が通じる。

造語ではないが、人名の幅の広さも同様。漢字と仮名の組み合わせで、名前のバリエーションも無限。英語などの名前ではそうはいかない。表意文字でしかないアルファベットでは、適当に組み合わせて作った語では意味が生まれないからだ。単語の部分を組み合わせて名前を作るとしても、英語では日本語のように様にはならない。


さらに、オノマトペ(擬音語、擬態語)の多様性。日本語はオノマトペに強いと言われる。実際、多くの擬音語、擬態語がある。特に擬態語に関しては強いらしい。例えば「歩く」の表現を考えてみよう。「てくてく」「とことこ」「すいすい」「のろのろ」「とぼとぼ」「すたすた」「ぐんぐん」「ぎゅんぎゅん」「とろとろ」「だらだら」「がんがん」「ずんずん」「のそのそ」「ひたひた」「びたびた」「どたどた」「ずしずし」「ささっと」「ひゅんひゅん」「びゅんびゅん」「ゆるゆる」「ふらふら」「しゃきしゃき」「ぶらぶら」「よたよた」。軽く考えただけでもこのくらいは浮かぶ。似たような表現もあるが、濁点がつくだけでも微妙にニュアンスも変わる。

既存のオノマトペだけではなく、新たに創造することも簡単だ。例えば「ぶよんぶよん」と表現すれば、なんとなくその歩き方を想像できる。「ぐおぐお」「じゃかじゃか」「どよどよ」「べろんべろん」「しゃこしゃこ」など、初めて聞く表現であってもなんとなくどういう歩き方か思い浮かべることができると思う。音とイメージが密接に結びついているのだ。


このように、普段あまり気にすることなく使っている日本語だが、考えてみるとすごく面白い言葉だというのがわかると思う。今回は単語についての話だけだが、文脈についてもかなり自由が利くし、それによってまたニュアンスも代わってくる。

もっと日本語を知って、他の言語も知って、読むだけでも心地の良い文章や、脳裏に残るような表現などを書けるようになれたらなぁ、と思う。