コトバノウタカタ

よしなしごとをつらつらとつづるばしょ。

右翼(うよく)*/左翼(さよく)*

今回は別に右翼や左翼の批判をしようという話ではない。飽くまでも言葉、概念の話。

右翼、左翼という言葉が示す意味は非常にあいまいだ。本来の意味を逸脱し、状況によってコロコロと色を変える都合の良い言葉とも言える。元の意味はともかく、現在ではある集団や個人に悪いレッテルを貼る際に使われることが多い。

右翼の本来の意味はこんな感じ。

保守的・国粋主義的な思想傾向。また、その立場に立つ人や団体。

左翼の本来の意味はこんな感じ。

急進的・革命的な政治勢力や人物。ことに、社会主義的または共産主義的傾向の人や団体。

最も一般的なのは、右翼=国粋主義的、左翼=共産主義的、という認識だろう。しかし、国粋主義共産主義は必ずしも対立する概念ではない。共産主義の国であれば、共産主義思想を持つ者はまた国粋主義者たり得る。それに元々革新派と呼ばれる人々も、本来は国のために革新を望んでいた人々であったわけだから、国粋主義者でもあったはずだ。

対立する概念で考える場合、右翼=保守的、左翼=革新的と考えるとしっくりくるように思える。しかしこういうふうにくくると、現実の右翼、左翼の認識とはそぐわなくなる。たとえば、「天皇万歳、憲法第9条を廃して軍国化しよう」なんて極端な人がいたとする。これは一般的には右翼と呼ばれるが、現体制が大きく変わることを望んでいるわけだから、「革新的」と言える。逆に共産党社会党などの左派と呼ばれる政党は「護憲」を唱えている。これは現体制を維持しようとする「保守的」な態度だ。

このように、右翼、左翼という言葉は、次元の違ういくつかの概念を同時に持っているために、本来の意味を追っていくと、わけがわからなくなってしまう。もともとの「保守的」「革新的」という意味だけならよかったのだが、そこに国粋主義やら共産主義やらが入ってきたために混乱を招くことになってしまったのだろう。いまでは、国や状況によって、あるいは使う人、使われる対象によって意味が変わる言葉になってしまった。いま通じる「右翼」「左翼」という概念は、「今の日本」でしか通用しないものに違いない。