コトバノウタカタ

よしなしごとをつらつらとつづるばしょ。

戦争と平和、割れた薄氷の上は歩けない

パトレイバー3を見逃した。昨日もBS Hiで劇場版の3作目をやっていたのだが、ゲームをしていてすっかり失念していた。仕方ないのでレンタルでもして見ることにする。

さてさて、今回は戦争と平和について。本当は昨日のパトレイバー2の項で書こうと思っていたのだが、なんだか筆が進まなかったので持ち越した。なので、パトレイバー2を絡めた戦争と平和の話になる。

現在の日本の平和のあり方と危機意識、そして自衛隊のあり方や米軍との関係。パトレイバー2は予言的に現在のこれらの状況を示唆していたのではないかと思う。イラク派兵を筆頭に、台頭してきた自衛隊強化の勢力。アメリカの帝国化、世界中でのテロの横行と、それを「対岸の火事」として見つつ、おざなりに手を出し始めた日本。国内でのクーデターやテロこそないものの、映画の中で自衛隊の力を強めようとしていた勢力のようなものが、実際に力を持って動き始めたのではないかとさえ思う今日この頃である。

まず断っておくが、私は自衛隊のイラク派兵に反対である。それ以前に、アメリカのイラク侵攻に対しても反対だった。いまでもその考えは変わらない、むしろ、戦争をはじめた大義名分だった大量破壊兵器はけっきょく見つからず、収集のつかないイラクや中東の現状を見るにつけ、その考えは確信に近づいている。けっきょくアメリカは戦争がしたかっただけなのではないか、力で言うことを聞かない国をねじ伏せ、対抗勢力を押さえつけたかっただけなのではないか。それで国家は潰せても、テロを消滅させることはできない。むしろ激化させるだけだというのに。

パトレイバー2でこういう台詞があった。
「正義を振りかざして戦争をしたやつに、ろくなやつはいない」
これを聞いていて「もろにアメリカのことじゃん」と思ったのは私だけではないはずだ。ブッシュはまさに「正義の戦争」としてイラク戦争を開始した。映画の中では過去の戦争を指して言われた台詞だし、押井がアメリカを想定してそういう台詞を入れたかどうかはわからないが、まるで予言のような一言だと思った。

日本はアメリカの同盟国であり、アメリカを支援するのは当然だ、と某首相は言う。しかし、同盟国だからこそ、その盟友の暴走を止めるよう苦言を呈するのも、同盟国としての努めではないのだろうか。現実には同盟国ではなく、完全に主従関係に陥ってしまっている。

本来なら日本は、西欧と中東を繋ぐ掛け橋の役割を演じられたはずだ。どちらにも顔が利き、ある程度信用されている国は日本を置いて他になかった。日本はアメリカとイラクの間を取り持てる可能性を持った唯一の国だったし、中東と西欧の確執を押さえ込める最後の国だった。しかし今回アメリカに尻尾を振って派兵をしたことで、中東から得られた信頼は完全に断たれたと見ていい。

人道支援をするな、と言っているのではない。しかし実質まだ戦闘状態が終結していない場所へ、軍事力を持った部隊を投入することがはたして純粋な人道支援と言えるだろうか。一部のイラク国民は、人道支援という名目であれ、他国の軍隊が入ってくることに反発している。そんな状況で人道支援の押し売りをすることに本当に意味があるのだろうか。また、陸軍はともかく、海軍、空軍の派遣に何の意味があるのか。陸軍の復興作業の陰に隠れていてわかりにくいが、実質、海軍、空軍はアメリカの軍事活動を支援をしている。これで人道支援と言い切れるだろうか。

よく「日本は金だけ出してなにもしないと批判される」と言われるが、そんな批判することがおかしいし、そういう批判を鵜呑みにするのが愚かなのだと思う。日本は軍隊を持たない、だから軍隊は派遣しない。代わりに金銭的に支援する。それがなぜおかしいのか。ならば日本の変わりにどこかが日本と同じくらい資金援助してくれるというのか。それぞれの国にはそれぞれの得手不得手があるし、それに合った支援の方法がある。日本は資金を出すという形で支援をすればよかったのではないか。仮に人を派遣するとしても、戦闘状態が治まり、武器を携行しなくても支援活動ができるようになってから送り込めばいい。確かに早急に支援が必要、ということもあるだろう。しかし武器を持っていっても戦闘行為もできず、戦闘が激しくなったらキャンプ内に引きこもっている現状で、派兵することにどれだけの意味があったというのか。アメリカや他の国々も、日本の自衛隊に特に期待などしてないのではなかろうか。けっきょくは派兵というのはアメリカに対するパフォーマンスでしかなく、そのパフォーマンスで日本は多くのものを失ってしまったように思う。それに結果的には、資金援助するだけよりも莫大な経費が、イラク派兵にはかかってしまうのではなかろうか。素直に資金援助した方が、有効な支援活動ができたのではないだろうか。

国内の話。日本は自国を守るだけの軍事力を持つべきだ、という意見がある。しかしだ、例えば戦後日本がそのような軍事力を持っていたとしたら、おそらく今のような経済発展はなかっただろう。軍事力は金を食う。しかも無駄金だ。それに戦後70年間、日本は周辺に敵意を持った国を持ちながら安寧に過ごしてきた。それはもちろんアメリカの傘の下にいたからなのだが、その状況をまだ続けることはできる。資金と場所を提供し、アメリカという傭兵を雇っていると考えればいい。アメリカも日本に駐留することに意味があるのだから、持ちつ持たれつだ。なぜその現状で満足できないのだろうか。

確かに北朝鮮や中国などの脅威はあるし、軍事力を持っていないことで下に見られることはある。しかし軍隊を持ったり、実際に戦闘行為を行うことによる経済的損失、人的損失に比べればそんなものは取るに足らないのではなかろうか。それらの国々の言いなりになれと言っているのではない。軍事力など持たなくても、日本は経済力という目に見えない強力な武器で国家間のバランスを保つこともできるし、アメリカの傘を利用しておけばむやみに攻め込まれることもないだろう。少し卑怯なようだが、アメリカの暴力的な対外的圧力政策をうまく利用してやればよい。

ただしその場合、ひとつの重大な問題点がある。アメリカが敵にまわったときにはもうどうしようもないのだ。それは日本に限ったことではないのだが。

パトレイバー2で、日本は幻の平和の中に身を置いている、と言っていた。しかし一方で、戦争もまた幻だ、という台詞もあった。戦争と平和は表裏一体で、どちらか一方が欠けるということはありえないと。その通りだと思う。しかしその幻の平和、薄氷の上の平穏を維持させることに心血を注ぐべきなのではなかろうか。もちろん、薄氷が割れた後の対策を立てることは重要だ。しかしそれが薄い氷だからといって、そこに岩を投げ込んで氷を割り、「ほら危ないよ」と知らせることに何の意味があるのだろうか。パトレイバー2で柘植や軍事化促進派のやっていたことはそういう行為に他ならない。危機感を煽り、警鐘を鳴らしているつもりなのだろうが、実際には自らの手で平和という氷を叩き割っているだけなのだ。自衛隊派兵や自衛隊の強化を論じることも同様の結果を招くだけだろう。氷が割れた後の対策を強化することは同時に氷に刺激を与えることになる。そのあたりのバランスが崩れ始め、今は氷に無用な負荷がかかっているのではなかろうか。

薄氷でも幻でもいい、それを割らないようにどうすればいいかをまず考えるべきではないだろうか。どう転んでも割れた氷の上は歩けないのだから。

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