コトバノウタカタ

よしなしごとをつらつらとつづるばしょ。

大学のゆとり

先日、母校の大学の教育への取り組みについての話を聞く機会があった。話を聞いた感想を一言でいうと「大学までもが学生に過保護になっている」と。教官もその認識はあるようで、以前と比べて過保護にはなっているのはわかっているが、「落ちこぼれを作ってはいけない」という「上」からの方針があり、そうせざるを得ないとここと。

具体的には、レポートの出ていない生徒に教官が自ら電話して提出を促す、学校に出て来ない学生を呼んで個人面談、親を呼んでの説明会や面談、親に成績表を送る、などなど。学生が顧客なら親はパトロンなので、そちらへのケアも必要・・・なのだそうだ。

うちの親なんて大学に来たこともなかったような気がするが・・・。

実際に私がいた頃の学科でストレートで卒業できたのは、入学した学生の半分くらいだった。以前は成績が悪かったり出席が悪かったりレポートが出てなかったりすると容赦なく単位なし→留年、だったのだが、最近では上記の理由により留年率もかなり減ったらしい。一方で学生を救済しようと低いレベルに合わせるがために、全体のレベルはどうしても低下してしまうとのこと。

個性を重視すると言いながら、けっきょくルールで縛り付け、平均的、画一的な学生ができてしまう、と教官方は話していた。こういうのもいわゆる「ゆとり教育」といわれるものの弊害だろうか*1


「昔は・・・だった」とか、「俺たちが若いころは・・・だった」などというのは単なる感傷的な懐古でしかないのかもしれない。とはいえやはり話に聞く限りでは大学の体質が変わり、学生が変わり、教官方の対応も変わっていっているのも確かなようだ。

かつて無表情で学生に赤点をつけ落としていたような教官が、「教育や研究よりも雑務に追われる毎日だ」「いまや生徒はお客さんだから・・・」と言っていたのがなんだか印象的だった。

*1:ここで「ゆとり」なんて出すのは安易過ぎるかもしれないが・・・