コトバノウタカタ

よしなしごとをつらつらとつづるばしょ。

大土地神楽

先日、出雲の大土地神楽なるものを見る機会があった。何の前知識もなく見に行ったのだが、国の重要無形文化財に指定されているけっこう有名な神楽らしい。

大土地神社という神社前の広場に舞台がしつらえてあり、そこで神楽が舞われる。私は序盤の1時間ほどを見たのだが、この神楽、夕方の6時にはじまり、深夜の3時まで、実に9時間もの長きに渡って行われるものらしい。踊りは一種類ではなく、15分から30分くらいのいろいろな踊りが順に舞われる。踊る人も毎回変わる。私が見ていた間は子どもが舞う神楽が多かった。神に奉納する舞、土地を清める舞、豊作や大漁を祈願する舞、神話の物語を再現する舞などいろいろあるようだ。

手元に演目一覧がある。これを見てるだけでもけっこう面白いので、どんなものがあるのかざっと書いてみる。



一、塩清目
この神楽は、東・西・南・北・中央・黄竜の六方を塩で清める為に舞うものです。
ニ、悪切
この神楽は、東・西・南・北・中央・黄竜の悪魔を、塩、洗米、剣を持ち鎮める為に舞うものです。
三、神降し
この神楽は、清めた舞座へ神様に降りてきていただく為に舞うものです。
四、小恵比寿
この神楽は、恵比寿が、海の神であることから、大漁を祈願して舞われるものです。
五、茣蓙舞
この神楽は、神様(大国主命)に毎年御座を作り捧げられていた場面を描かれた舞です。
六、柴舞
この神楽は、東・西・南・北・中央・黄竜の六方を、手草を持って神に豊作をお願いするために舞うものです。
七、八乙女
この神楽は、女の子が鈴を手に持ち、その舞を神様に奉納するものです。
八、幣の舞
この神楽は、東・西・南・北・中央・黄竜の六方を、御幣と扇を持って神に豊作をお願いするために舞うものです。
九、茣蓙舞
この神楽は、神様(大国主命)に毎年御座を作り捧げられていた場面を描かれた舞です。
十、茅の輪
この神楽は、素盞嗚尊(すさのおのみこと)が出雲の国へ天降った時、風雨に見舞われ、日も暮れてきたので、一夜の宿を借りる為、まず、裕福な巨旦将来(こたんしょうらい)の家を訪れると、泊めてやるような部屋はないと断られ、次に、貧乏な蘇民将来(そみんしょうらい)の家を訪ねると、快く引き受けてくれます。夜が明け、家を後にする時、お礼に疫病を追い払うことのできる茅の輪を渡して出ていかれます。しばらくすると、疫病神が現れ、巨旦将来は疫病に倒れますが、蘇民将来は茅の輪のおかげで、疫病神を退治するまでを描いたものです。
十一、山の神
この神は、天岩戸にお隠れになった天照大神を外に連れ出す為、神楽を奉納する際に必要になる榊を取りに、天津小屋根命が天香具山に忍び込み、その物音に、天香具山を守っている大山祇神が気付き、追いかけ捕まえて、天津小屋根命からその事情を聞き、榊を渡す代わりに十握の剣をいただき、これを持って世の悪を鎮めることを誓われるまでを描いたものです。
十二、八千矛
この神楽は、大国主大神が、出雲の国を平和にするため活躍された若いころの物語で、その時の名前を八千矛神と言います。まだ、出雲の国が平和でなく、戦争を繰り返していること、悪事を働いていたのが、八千矛神の兄神である八十神とその子分達でした。そこで、この兄神達をこらしめ、人々が安心して暮らせるようにと、八千矛神は弓矢や刀を持って戦われ、ついに八十神は降参して、出雲の国が平和になるまでを描いたものです。
十三、五行
この神楽は、陰陽五行説に基づく五柱の神達に、一年間を治めよとの詔に従って、まず、木の句句迺馳神が春三ヶ月を、火の軻遇突智神が夏三ヶ月を、金の金山彦神が秋三ヶ月をそして水の罔象女神が冬三ヶ月を治めると宣言しますが、最後に残った土の埴安彦神の治める日が一日も残らないことからお怒りになり、四柱の神達に戦いを挑まれます。そこに思兼神が現れ、埴安彦神に各季節の土用十八日をお与え、一年に七十二日を治めるよう調停案を示されます。この申し入れに五柱の神たちは納得され、一年間、心を合わせて治めることを誓われるまでを描いたものです。
十四、三韓
この神楽は、神功皇后と、これに仕える武内宿禰が、住吉明神のお告げによって、戦争に明け暮れる新羅・高麗・百済の三韓を平定に向かわれます。まず、住吉明神に参拝し、戦勝祈願の願掛けを行い、そして海を渡り、新羅の港に無事たどり着き、新羅王、高麗王、百済王と戦い、平定するまでを描いたものです。
十五、田村
この神楽は、三重の長者の息子で、鬼丸という者が、鈴鹿山にこもり、子分達とともに旅人や村を襲い、人々に恐れられていました。それを聞いた、時の天皇は、坂上田村麻呂将軍に退治するように命じ、この勅命を受けた将軍派鈴鹿山に出向き、村人の協力を得て、鬼丸一派を退治されるまでを描いたものです。
十六、荒神
この神楽は、天照大神の勅命により、武甕槌神経津主神の二人の神が出雲の国を譲り受けようと、大国主大神を訪ね、稲佐の浜で談判の結果、大神は出雲の大社を造ることを条件に承諾されます。しかし、その子、武御名方神は話し合いだけでは納得がいかず、力比べを申し出され戦われますが、ついに長野の諏訪まで後退され、大国主大神の言われることに従われます。そして、その武勇に感心した天照大神は、諏訪の社を作られ、武御名方神がこの地方を守っていくまでを描いたものです。
十七、八戸(前)
この神楽は、素盞嗚尊が出雲の国に天降った時に肥の川の上流で嘆き悲しんでいる老人夫婦と姫を見つけ、その事情を聞くと、八岐の大蛇という毒蛇が、足名椎と手名椎の八人の姫を七年間に毎年一人ずつ連れ去り、今年が最後の稲田姫の番となり、別れを悲しんでいるとの事、そこで素盞嗚尊は、その姫を貰い受けられるなら、大蛇を退治して、姫の為に八重垣神社を造り、住まわせることを誓われるまでを描いたものです。
十八、八戸(後)
この神楽は、素盞嗚尊は大蛇に毒酒を飲ませ、十握と叢雲両剣を合わせ戦われ、ついに大蛇を退治し、佐草の里に八重垣神社を造るまでを描いたものです。