コトバノウタカタ

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ゲーム脳理論の罪

3月6日に、ゲーム脳理論の提唱者、森昭雄氏の講演があったとのことで、その講演を聞きに行った方のレポート。


   リヴァイアさん、日々のわざ: 森昭雄氏の世田谷区講演リポート
   リヴァイアさん、日々のわざ: 「あなたの方がおかしい」と森昭雄氏に言われるの巻(世田谷区のゲーム脳講演リポートその2)。追記あり


この方は元々ゲーム脳に対して一言言いたいことがあったようで、講演の最期に森氏に対して「子どもの犯罪は増加していない点」を質問として投げかけたというツワモノとのこと。

ゲーム脳や森氏については私も何度か書いてきたが、レポートを読んだところでは森氏の論調は健在のようで。とはいえ世間では脳ゲーが人気を博し、公の場で学者達がゲーム脳を否定しはじめてきているという、森氏にとっては風当たりの強い状況になってきているのもまた事実だろう。


しかしこの問題は既に森氏ひとりのものではなくなってきている。他の方も触れているが、危険なのはこの森氏の擬似科学を信じてしまっている親が少なからずいるということ。講演の最後に親たちは拍手喝さいを送っていたという。ネット上でこれだけ批判され、ボロを指摘されていてもなお、その甘言を信じてしまう親はたくさんいるということのようだ。

確かに、キレる子、思い通りにならない子を抱えた親は、藁にもすがる気持ちだろう。そこに「悪いのはゲームだ」というエサを吊り下げられたら、喰らいついてしまうのもわからないではない。しかしそこで責任をゲームに転嫁し、仮初の平穏を得たとしても、実際には問題はひとつも解決していない。むしろ責任をゲームに押し付けた時点で、親は安心してしまいそれ以上の改善策を模索しなくなる。それがさらに子との関係を悪化させてしまうこともありうるだろう。

子の問題を、全て親の責任として背負わせてしまうのは、親にとって重過ぎるかもしれない。あるいは本当に親の責任だけではないのかもしれない。それはそれで別の研究を行い結果を出さねばなんともいえないことだ。しかし何がどうであれ、親を抜きにして子の問題を解決することは絶対にできない。「ゲームを遠ざける」だけで解決できるほど安易な問題ではあるまい。ゲーム脳理論は、その「親が問題を考えるべし」という当たり前の考えを封じてしまいかねないという危惧がある。


キレる子がゲームをしているか否かよりもまず、それぞれの子どもが一日のうちにどれだけ親と会話しているか、どれだけ親と一緒に食事をしているか、親が子をどういう風に育ててきたのか、そういうことから調査していった方が良いのではないだろうか。

親とのコミュニケーションが取れていない子が、一人でいるときにゲームをすることが多くなるっても不思議はない。コミュニケーション不足がゲームプレイ時間に相関している可能性は十分にある。必要なのは相関関係を見るのではなく、因果関係をはっきりさせること。それが科学的態度だと思うのだが。


今まで何度も書いてきたが、ゲームに害悪がないとは言わない。ゲームに限ったことではないが、やり過ぎは毒だ。ゲームは他のメディアに比べて継続する時間が長いということもあり、他のメディアに比べて長時間遊んでしまうことが多いという点も否定は仕切れない。また暴力的なもの残虐なものは、やはり幼い子どもにはまだ見せたくないと思う(ゲームに限らないが)。

ただしそれとゲームそのものが害悪であるかどうかはまったく別の話である。全てのゲームが人を痴呆にするというゲーム理論はやはり受け入れがたい。

が、そろそろ森氏のことはもう放っておいて、まったく別のアプローチでゲームの功罪を明確にしていくべき段階に来ているのではないかと思う。より論理的かつ信用の置ける(あるいは嫌な言い方かもしれないが、より権威のある)研究結果が出てくれば、森氏のたわごとなど相手にされなくなるだろうから。

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