コトバノウタカタ

よしなしごとをつらつらとつづるばしょ。

作る側としての面白さ

これについては私は語る言葉を多くは持っていない。なので、あるクリエイターの物語の作り方を取り上げたい。


   桝田省治のシナリオ作法
   桝田省治の製作ノート 〜Making of Linda3〜


ゲームクリエイター桝田省治氏のシナリオ作成方法についてのコラム。過去の物語や人気のある作品の「面白い」部分を抽出し、なぜ面白いかを分析していくというもの。最終的に「面白い」というパターンは100〜200程度のもの。そして面白い作品には20個くらいの要素が詰め込まれている、という話。

話を作るときにはその逆に、面白さの要素を20個くらい使って上手い具合につなぎ合わせてやればできる、とのこと。


これは書きたいもの、作りたいものが先にあるわけではなく、「面白いと思わせる要素」をつなぎ合わせて「面白い物」を作るというアプローチだ。この作り方はあるいは邪道と思われるかもしれない。しかしエンターテイメントとして面白いものを作る手法としては興味深い。

またテーマだけあっても作品は面白くならない。テーマをより効果的に見せるための手法も、過去の作品の中に必ず含まれているだろうし。それを肉付けし、面白い作品として仕上げるためにも、こういう手法もアリなのではないかなあと。


最近、過去の作品の焼き直しやパロディが多いが、そのまま真似するのではなく、こうやって「要素」を抽出し、自分なりに消化して作り直すことこそがクリエイティブな作業なのではないかと思う。実際に桝田氏の作品のシナリオは、過去の名作の要素のつぎはぎと自称しているが、実際に遊んでみるとかなり新鮮で衝撃的だ。ま、その「つなぎ合わせ」や「編集」にまたセンスが重要になってくるのだろうけれど。

追記

よく考えてみれば、桝田氏が言っている作品からの面白い点の抽出って、一つ上の「見る側の面白さ」で書いたことに近いかも。もちろん私の場合は、作品を見返しながら面白い点を抽出したり、何十回も見直したりはしてないので本質的には違うのだけれど。

それと、桝田氏の方法は一見普遍的な面白さを流用して何かを作るようにも見えるけれども、桝田氏は「自分で面白さを見つける」ことを前提にしている。誰かがまとめたものではなく、自分が見て面白いと思う要素をかき集めてくるのだから、そこには既に自分のフィルターがかかっている。自分が面白いと思うものの集約になるっているということ。ならばそれを材料に何かを作るのであればそれはそれで一種の「オリジナリティ」があるのかもしれないな、なんて。