コトバノウタカタ

よしなしごとをつらつらとつづるばしょ。

ルールの教育

埼玉弁護士会は23日、茶髪を理由に3年生の女子生徒を卒業式に出席させなかったのは、憲法の「教育を受ける権利」の侵害にあたるとして、小鹿野町立小鹿野中学校に対し、人権救済の勧告を行った。生徒の母親が04年7月に同会に申し立てていた。

「ルールを守れない者は社会的な制限を受ける」ということを身を持って教える。これもひとつの「教育」のような気もするが。

ま、教師の方もちょっと大人気ないと思うけど。「卒業式に出さない」というのは、ルールを教えるというよりは制裁に近いことになってしまっているし、「卒業式をいいものにしたかった」という説明もちょっと筋違いな感じ。


いまどき茶髪くらいで・・・と思うところもわからなくもないが。私も昔は学生だったので、学校が定めるルールに理不尽さを感じることはあった。中学校なんて男子生徒は全員丸坊主、女子も襟に髪がかからないように、ってのが校則だったからね*1

しかしルールはルールだ。社会に出ても、理不尽なルールはいくらでもある。あるいはルールに定められていないくても「常識」として制限されるということは多々ある。そういう意味では、学校が定めたルールというのは社会の縮図、あるいは事前の訓練であり、学校としてはルールに従うよう指導をすることもまた教育の一環であるのではないかな、と。

*1:丸坊主だからもちろん茶髪なんて一人もいなかった。数年後に改正されたが、その後は中学生でも茶髪なのが大量発生してた。